気づきの伝道師 藤井一規です。
同じことに取り組んでいても、
充実していたと感じる人もいれば、
そうでない人もいます。
楽しかったと思う人もいれば、
そうでない人もいます。
どうしてこんな違いが出てくるのでしょう?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14701/
この記事の目次
「人生を退屈なものにするのは動機の欠如である」
by ジョージ・エリオット(英の作家)
なんて退屈なんだろう!
そう思うひとと、そうでない人との違いは、どこから来るのだろう?
そこに、取り組もうとする動機があるかないかが、
大きな要因となっている。
もう少し掘り下げていく。
<動機>
何事も、何かをしようという意欲をもって取り組めば、
その時間を充実させることができる。
反対に意欲が湧いてこなければ、
漫然と時間を過ごしてしまったりする。
どんなことでも真剣に取り組めば、
気づくことが変わってくる。
例えば、家の周りの景色やあるものをじっくり観察してみる。
観察しようとしていれば、小さな花が咲いていたりすることに気づき
うれしくなったりする。
アスファルトを突き破って、スギナが芽を出していたりして、
命のパワーを感じたりできる。
ただただ歩いて通り過ぎていれば、
代り映えしなくて殺風景だなあ。と思ったかもしれない。
<動機の強さ>
また、あることに取り組もうとするとき、
取り組む動機が強いものであるときと、そうでないときとでは
大きな違いが生まれてきたりする。
例えばダイエットしようとするとき、
まあ、やせられたらいいな・・・と
単に思っているときと、
やせて、あの服をまた着てデートしたいって
欲しい姿が具体的にあるときとでは、
結果に違いが生まれたりする。
手に入れようとする動機がしっかりしていると
取り組む姿勢が変わったりする。
<人生をおもしろくするには>
そう、人生をより興味深いものにしていこうとすれば、
動機を持ち込んでみる。
何かしなくてはならないことがあれば、
ただやるのではなくて、
効率を上げて、半分の時間でやろうとしたら?とか、
もっとライバル以上の質にしていこうとしたら?とか、
なんらかの動機を持ち込んでみる。
きっと、どんな退屈に感じるようなことにでも
面白味だったり、新しさだったりを持ち込むことができる。
動機は、人生のお供にしていきたいもの。