気づきの伝道師 藤井一規です。
こうなるはず。
理論や理屈は、大切にしたいもの。
しかし、その通りにはならないこともある。
どう考えていけばよいのだろう?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14802/
この記事の目次
「もし事実が理論と合わないとしたら、捨てるのは理論の方ね」
by アガサ・クリスティ(英の推理作家)
事実がどうしても理屈に合わないとき、
つい理屈のほうにこだわってしまうことがある。
こうすれば、こうなる。こうだから、こうなる。という考え方は
人を取り込んでしまうことがある。
もう少し掘り下げていく。
<事実の解釈>
例えば、怒りっぽい人がいるとする。
心理に詳しい人は、きっとなにか「自分に劣等感を持っている」か、
「大きなコンプレックスを抱えている人」にちがいない。
と考えたりする。
そのための理論的な説明も、なるほど!と思えたりする。
しかし、本当にそうとは限らない。
別の原因があるかもしれないのだ。
<理論とは>
理論は、起きている現象を説明するのに役に立つ。
思いつく限りの条件を考慮に入れて、考えつくした論理でもって
生み出していくのだけれど、
結局は限られた知識と能力で生み出したものという限界がある。
特に自分が考えたものであれば、考えに入れ損ねたものが何かある可能性が高い。
例えば、自分の過去の経験から、こういう人は、こういうものだ!
と考えているとする。
きっとそれは、経験上は正しい。
しかし、たまたまあなたがこれまでに出会った人は、
という条件が付いていることを忘れてしまいがち。
<事実が理論に合わないとき>
もし、自分の理論に合わない事実が現れたとき、
立てていた理論が間違っていると考えるよりは、
事実のほうに問題があると考えがち。
なぜなら、自分にとって、これまでずっと正しかった考え方だからだ。
自分が間違っていると考えることって、抵抗が生まれるものなのだ。
考えてみれば、
そんなはずはない! こうなるはずだ!
といって怒っている人は多いもの。
<事実を受け留め、考え直す>
理論は人が作り上げたものなのだから、
考えに入れている条件や、考え方に抜けがある可能性がある。
だから、まず事実のほうを受け留めていきたい。
そして、事実に基づいて、今までの理論を見直してみる必要がある。
自分の考えに間違いはないと決めつけて
他の考え方を拒絶することなく、
新しい可能性、新しい考え方にも目を向けるようにしていきたい。