気づきの伝道師 藤井一規です。
誰かが隣に一緒にいてくれる。
こんなうれしいことはない。
人は一人ぼっちでは生きていけないもの。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「徳は孤ならず。必ず隣あり」
by 孔子(中国の思想家、哲学者)
有隣堂という有名な書店の名前は、
この言葉をもとにしている。
隣が有る、ということは、素晴らしいこと。
もう少し掘り下げていく。
<孤独の恐怖>
本当に徳のある人は、孤立するようなことはない、と言われる。
誰かが安心してだったり、頼りにして
人が集まってきたりする。
人は基本的に一人では生きてはいけない。
誰かとの関係があって、初めて自分の存在も認識できるようになる。
孤独であることは、辛い事だったりします。
だから、孤独を何とか避けようと、
自分の思いとは違うことになろうとも、
仲間に入ろうとすることがある。
しかし、強引に作ったものでは限界がある。
<孤独に悩まされる>
本来の自分をだますようなことをしてしまうと、
心の中に引っ掛かりを抱えてしまう。
確かに、一時的な心の飢餓状態を避けることができるけれども、
今度は、本当の気持ちを押し殺した痛みが生まれる。
そして、それは意外と長期間にわたって深く影響がある。
本来の自分を傷つける方向にいかないように
素の自分のままでいたいもの。
本来の自分を隠したままだと、心に大きな負担になったりする。
<誤解するとき>
悟りを開いたような人の場合は、孤高な感じがして
近寄りがたいかもしれません。
それでも、その状態でいつづけたら、
理解してくれる人がきっと現れるもの。
あわてて周りに迎合する必要はない。
もちろん、自分は孤高だ、と思っていても、
実は傲慢なだけだった、なんてこともありうる。
たくさんの仲間がいると思っていても、
実は地位や権力、お金のチカラに寄ってきているだけ、ということがある。
自分の地位や、立ち場、お金の魅力がないとしたら、
どれだけの人が近くにやってくるのだろう?
一度振り返っておきたい。
<徳を積む>
目の前の誰かのために一生懸命やってみる。
見返りがあるからではなく、期待を手放してみる。
すぐにどうなるというわけではなくても、
そのうち変化は訪れる。
信頼を高めていくのは難しい。
特に一度失った場合は大変だ。
それでも、できることを一生懸命やっていく。
そうすれば、きっとだれかが隣にやってくる。