気づきの伝道師 藤井一規です。
あらゆる人から好かれようとする人がいたりします。
しかし、どうもそれは間違っているのかもしれません。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「十人が十人とも悪く言う奴、これは善人であろうはずがない。
だからといって十人が十人ともよくいう奴、これも善人とは違う。
真の善人とは、十人のうち五人がけなし、五人がほめる人物である。」
by 孔子(中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。「論語」より)
十人が十人ともいいやつだ、と言ってくれる奴って、善人じゃないの?
しかし、孔子は善人ではないという。
それはなぜなのか、もう少し掘り下げていく。
<好かれたい>
人間はできれば周りの人たちから好かれたいと思うもの。
人との良好な関係があって始めて生きていける人間にとって、
好かれる人がいることは、とても重要なことだからだ。
もし、全員から嫌われているとしたら、
何らかの問題を抱えていると考えられる。
嫌われる原因にはいろいろあれど、全員からとなると、
共通的なところで何か問題があると考えられる。
<好かれようとして>
好かれようとして、相手に合わせようとすることってある。
自分の意見や思いを伝えることなく、
相手の思いを優先しようってすることってある。
しかし、そればかりを続けているとしたら、
自分の中に矛盾を抱えることになったりする。
素直に同意できるときはいいけれど、
ときには、自分の思いに反することだってある。
ある人が、プロ野球の巨人ファンだといったときは、
「私も巨人ファン」と言い、
別の人が広島ファンだといったら
「私は実は広島ファン」と言ったとしたら、
本音はどこにあるのかわからない人ってなって、
その人のことを信じられなくなるかもしれない。
<自分らしく>
社交儀礼的な大人の対応をすることはあるとしても、
やはり、信頼できる相手かどうかが大切なこと。
常に仮面をかぶっているようで、
本音がどこにあるのかわからないような相手だとしたら、
心を許すことが難しくなっていく。
そして、本音を出していけば、ぶつかる相手も出てくるもの。
同時に、同意してくれる相手も現れてくる。
そう、両方がいてこそ信頼できるのだ。
<嫌われることを恐れず>
だから、嫌われることを過剰に恐れる必要はない。
恐れて、自分を覆い隠したまま生きていくことは難しいし、
正体がわからないと思われると、
却って避けられてしまうもの。
もちろん、ただのわがままになってしまうのは問題だけれど、
あなたらしく、自然体で生きていったほうがずっといい。