気づきの伝道師 藤井一規です。
失敗の原因には様々あれど、
奥底にはうぬぼれが潜んでいると言われたりします。
自分に都合よくいくだろうと勝手に思っていたりします。
自信とうぬぼれについて、しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「概してすべての大きな失敗の奥底には、うぬぼれが潜んでいる」
by ジョン・ラスキン(英の美術評論家、社会思想家)
自分に自信を持つこととは大切なこと。
自分ができているとか、優れていると思うことで自信がついたりする。
しかし、自分が優れているからと、うぬぼれてしまうと、
失敗の素になるという。
もう少し掘り下げていく。
<優れている>
抜きんでた能力を持っていることは、
素晴らしい。良いことだと考えがちなもの。
実際、素晴らしいことだ。
しかし、他人より優れていることは、欠点だという指摘があるのも事実。
「徒然草」にも「人に勝れりと思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言はねども、
内心にそこばくの咎(とが)あり」とある。
優れていると思うと、うぬぼれという邪悪さが動き出すからだ。
劣っている誰かをいがしろにしてしまうようなことは論外だけれど、
慢心したり、手を抜いてしまったりすることはよく起きる。
<慢心>
自分が劣っていると思っていれば、
一生懸命やろうとする。
ところが自分が優れていると思うと、
慢心が起きて、危険が忍び寄ってくる。
優れているから手を抜けると思ってはならない。
常に戒めてかかる必要がある。
手を抜かず、最善を尽くそうとし、
より良くしていこうとすることを忘れてはいけない。
罠は意外なところにできてしまったりする。
<自信と慢心>
できるようになっていること、
能力をもっていることは自信にしていい。
自信を持っているということは素晴らしいこと。
しかし、自信と慢心とは紙一重のところがある。
自信がいつの間にか、慢心になってしまい、
横柄になったりしてしまったりする。
その境目はどこにあるのだろう?
一つの基準は、謙虚さをもっているかどうかかもしれない。
謙虚さを失ったとき、慢心がうごめきだす。
<自信と謙虚さ>
自信は、できることの肯定的側面をそのまま受け留めている。
謙虚さは逆に、不足しているところ、伸びしろのある所を捉えている。
慢心は、自信と同様、できることの肯定的側面を捉えているが、
過大評価して尊大になってしまっている。
自信と慢心とは紙一重と知って、
謙虚さを保つようにしていきたい。