気づきの伝道師 藤井一規です。
頭であれこれ考えるよりも、
不思議に直観のほうが当たっていたりします。
頭より心のほうが、場につながっていたりします。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「いつだって心は頭より先に物事をつかんでいる」
by トーマス・カーライル(英国の思想家、歴史家、評論家、文学研究者)
人は頭を使ってあれこれ考えるもの。
起きるはずのないことを想像して思い悩んだり、
目の前で起きた現象の原因を論理的に説明しようとするものだったりする。
しかし、理屈はあとから何とでもつけることができたりする。
心のほうがストレートにそこにあるものを感じ取れたりする。
もう少し掘り下げていく。
<無意識で感じること>
人は、無意識のうちに感じ取るチカラを持っている。
過去からの経験から来ているかもしれない。
自分がなじんだものに、懐かしさを覚えたりする。
小さなころの体験を、大人になってもなぞっていたりする。
また、自然に感じられるものや、バランスの美しさを
受け取っているかもしれない。
不自然なもの、不安定なものを避けようとするものだし、
生き残ろう、子孫を残そうとする本能に従って、
生命力を感じ取ったりする。
こうした無意識での選択が行われている。
<意識的に考えること>
無意識で感じることに対して、
私たちは頭で考えるという、意識的に考えることもしている。
無意識で選択をしていても、
なんらかの理由付けをしたほうが、
人は安心できたりする。
自分は、「これこれ、こういう理由で選んだのだ」
ということが明らかになっていると満足できたりする。
自分の正しさ、正当性を確かなものにしようとし、
わけのかわからないままだと思われることを避けようとする。
だから、無意識のうちに選択したことも、
理由をつけようとしたりする。
<心のほうが先>
理由を考えて決めるのと、直観的に決めるのとでは、
明らかに後者のほうが速い。
しかも、心や体に起きる感覚や感情のほうが素直。
頭ではいろいろと捻じ曲げることもできるが、
好き!とか嫌い!という感情はストレートに起きる。
頭でこっちのほうが良いと理由をつけても、
選択したものが感覚的に嫌なものだったら、耐えられなかったりする。
<心の示すもの>
頭で理由をつけた選択と、心の選択に差があったなら、
心の選択を大切にしていきたい。
理屈を超えて、心は本質をつかんでいたりする。