気づきの伝道師 藤井一規です。
美しさや醜さを感じるチカラが私たちにはあります。
しかし、その基準は様々ですし、
醜さのなかに美しさを見出したりすることもあります。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15071/
この記事の目次
「芸術家にとって、自然の中で醜いものは何もない」
by オーギュスト・ロダン(仏の彫刻家)
自然には美しさがある。
芸術家は美を見出し、作品にしていく。
私たちも、何気ないとことにも美しさや価値を見つけることができる。
それは、人生をより豊かにしてくれる。
もう少し掘り下げていく。
<何気ない中にも>
いままで何気なく扱っていたものなのに、
あるとき、素晴らしさを感じ取ったりすることがある。
春、落葉樹は新たな葉が生えてきて、
新緑が楽しめる。
これに対して松は常緑樹で、常に緑の葉があって
春になってもそう変わらない。。。そう思っていないだろうか?
春には花が咲くし、夏に近づいていくと、
新芽がまっすぐ空を目指して伸びていく。
松の芯と呼ばれる新芽が、
枝の先から、まるで垂直にアンテナをいっぱい立てたかのように。
松は大きくその姿を変える時期があるのだ。
意識していないと気づかないかもしれないが、
一度気づくと、この季節ツンツンしている松の芯が目に留まる。
<意味のあるものとのつながり>
大切な想い出につながっているものは、
たとえ小さな石ころだったとしても、
ものすごい意味を持っていたりする。
その想い出とつながっていない人に取ってみれば、
ただの石ころのままだ。
同じものでも、大切な記憶とつながっていたりすると、
ものすごい価値が加わったりする。
<意識の持ち方>
そう、意識して捉えていない間は、
あってもなくても同じような感覚だけれど、
意識して捉えてみると、
何らかの意味を持ち始めたりする。
意識をして捉えた同じものでも、
好ましくとらえていれば価値があると感じ、
嫌っていれば価値がないように感じる。
どんな意識の持ち方をするかで、
同じものでも大きく捉え方が変わっていくもの。
<美しさも>
醜いと思っているものの中にも
美しさが含まれていたりする。
例えば腐らせたりするものは、見た目やにおいも
美しいとは言い難いかもしれない。
しかし、腐らせていくものは、自然の営みの中で、
できたものを再び大地に還元していく働きの一部だったりする。
この働きがあるから、自然の循環の輪が出来上がっていたりする。
輪を完成させるためには必要なものだったりする。
そこにあるものには、きっとなにか価値があり、美しさがある。
感じ取ってみるのもいいかもしれない。