気づきの伝道師 藤井一規です。
自分を主張すると、敵を作ってしまうことがあります。
しかし、わがままでありながらも親しみをもって受け入れられる人もいます。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「如才のなさとは敵を作らずに自分を主張することである」
by アイザック・ニュートン(英の哲学者、物理学者、数学者 / 1643~1727)
敵をつくらずに、自己主張ができるとしたら素晴らしい!
妙に人のことを考えて、自己主張を抑え込んでいたら、
手に入れることができたはずのものを逃してしまうことになる。
もうしばらく掘り下げていく。
<わがまま>
わがままと自己中心とは、どんな違いがあるのだろう?
どちらも自分に都合の良いように考えている。
そういえば、小さな子供はわがままの塊と言えるかもしれない。
これはイヤ!
抱っこ~!
これ欲しい!
自分の望みに正直だ。
自己主張をしっかりできるということは、大切なこと。
大人になると、周囲に気を使ったり、
常識を意識して、自己主張することを抑え込んでしまったりする。
しかし、私たちは我慢のし過ぎになっていないだろうか?
もっと素直になっても良いかもしれない。
<自己中心>
わがままを言うことと、自己中心とは似たところもある。
しかし、わがままは、相手にお願いするようなケースも多い。
子供であれば、親や相手に甘え、お願いしていることが多い。
どこか、かわいさを伴っていたりする。
自分の主張はするけれども、相手の存在を
ないがしろにすることを意図してはいない。
これに対して、自己中心は、相手をないがしろにすることも厭わない。
相手を傷つけようとも、踏みつけようとも関係ないところがある。
同じ自己主張でも、大きな違いが生まれてきたりする。
<ニュートン自身は>
実は、ニュートンは自己主張を、
うまくしていくことは苦手だったと考えられる。
多くの人と論争になったという逸話には事欠かないし、
彼の授業は、時とともに受講者が減っていったという。
自分も社交的なことは苦手だという意識があって、
交渉役を立ててなんとか立ち回ったことも多い。
どうも、子供のころの家庭環境が大きく影響を与え、
わがままを受け入れてくれるような
愛情ある時間を過ごすことができなかったことが原因ではないかとも言われる。
しかし、だからこそ、自己主張をしながらも敵をつくらないって
すごいことだと気が付いていた。
<わがままでいこう>
私たちもいつもより、わがままを意識してみてもいいかもしれない。
相手のおかげでわがままが許される。
相手に感謝を持って生きていきたい。
逆に、誰かのわがままを受け入れて、
お互いにWin-Winになっていけたら最高。
自分を主張しつつ、相手に感謝する。
より自由に生きるヒントかもしれない。