気づきの伝道師 藤井一規です。
人の心はどのようにして決まるのでしょうか?
誰かの心を動かしたいと思うとき、
どうしていけばよいのでしょう?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15263/
この記事の目次
「自分の心は秤のようなものである。人の都合で上下したりはしない」
by 諸葛亮孔明(三国時代の蜀漢の政治家・軍師)
誰かの心を動かしたいと思うとき、
どんなアプローチをしているでしょうか?
もうしばらく掘り下げていく。
<秤の上下>
秤は、重いほうが下に傾く。
それは、誰かが軽いほうを下げようと
いくら念を送ってきても変わらない。
誰が望むからといって冷静な判断を優先するとした孔明。
人間は、誰かとの関係があって生きていける。
周りとの良好な関係なくしてはうまくやっていけない。
だから、付き合いの関係上、
乗り気ではないが同意して行動することはある。
しかし、心からやりたいと思ってすることと、
付き合いでやむなくだったり、
責任があるから仕方なくですることとでは、
大きな違いが生まれてくる。
<動機となるもの>
人を動かすものは、
不快から逃れるためか、快適を得るための
二つのうちのどちらかだと言われる。
たとえば行動しなければ、危機に陥るとなれば動こうとする。
もうひとつは、行動することで幸せになれると思えば、
自然にその方法を選択するというものだ。
前者は、痛みの選択
後者は、愛の選択と呼ぶこともある。
<痛みから逃れる選択>
誰かを行動に導きたいと考えるとき、
権限であったり、ムチをちらつかせて、何かさせようとすることって多い。
上司から部下への指示・命令の多くは
このタイプになっていたりする。
親から子に対しても、多く使われるアプローチ。
また、誰かから褒められたいからする行動も、
「しないでいたら褒められない」ことが痛みになっている可能性がある。
確かに行動は起きていくが、
行動は最低限にとどまっていきやすい。
<愛の選択>
行動することで、幸せが得られると想像できれば、
ポジティブな気持ちで取り組むことができる。
「しなければならない」ではなく、
「したい」「やりたい」が生まれることで
自然に行動が始まっていく。
アプローチするときに、
ついつい、こんなにすごいものがあるよって
勧めたい側の理屈で説明しがち。
しかし、
相手の望みが何かを知り、
それが得られることを示していくほうが、ずっと効果的なのだ。
相手の心の秤に乗るものが何か。
相手の気持ちに気づいていきたい。