気づきの伝道師 藤井一規です。
人はときに完璧を求めることがあります。
しかし、完璧は問題も抱えていたりするようです。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15347/
この記事の目次
「完璧には一つの重大な欠点がある。退屈になりがちなのだ」
by ウィリアム・サマセット・モーム(英の小説家、劇作家)
完璧なものは、それ以上手を加えると完璧から外れてしまうことになる。
働きかけのできないものは、周りとの関係性も作りにくい。
もうしばらく掘り下げていく。
<完璧さ>
世界にはきれいに左右対称など、完璧なものを
大切にしようとする文化がある。
たしかに、完璧なものには整った美しさがあり、
完璧であろうとすると、多くの時間と努力が必要だったりする。
複雑なものだけれど、シンプルな原理がもとになっていたりすると、
美しさを感じられたりする。
完璧には美しさがあり、
憧れを持つこともあるだろう。
<乱れ>
これに対して、日本文化には非対称であったり、
規則性を破ったところにおもしろさ、美しさを見出している。
抹茶茶碗でも、ろくろで美しくととのった形にできたものを
わざわざ形を崩していたりする。
もともと手づくねで、左右対称などの
ルールが当てはめようのないものに、
温かみや、自然を感じていたりする。
私たちは、整った部分と乱れた部分とがあると、
乱れた部分に意識が向かうようにできている。
乱れがあるということは、
そこから変化が起きやすいということだ。
命を守っていくためには、安定したものは気にする必要がなく
変化が起きているところに、注意を振り向ければいい。
<完璧の欠点>
そう、完璧だと思ってしまうと、注意を向ける必要性も失われてしまう。
最初は美しいと感じた完璧も、
人間の「慣れる」という特性からすると、
せっかくの完璧さも、時間の経過とともに、
注目する必要性が失われてしまう。
そう、完璧なものは一緒に退屈さを連れていたりする。
これに対して、乱れのあるものは
注意を引き続ける。
<不十分さは工夫の源>
乱れや不十分なところがあると、
それを何とかしようとする意思が起きる。
完璧だ、と思ってしまうと、それ以上成長させたいという
思いは起きにくくなる。
完璧から外れているからこそ、
成長させたいという気持ちが起きる。
その乱れた部分をなんとかしてカバーしようとしたりする。
乱れたところは引っ掛かりがあって、
そこで周りとつながりができたりする。
一人では不十分なところも、
何人かが集まって、カバーしていったりするのだ。
不十分だからこそ、可能性が広がるのだ。