気づきの伝道師 藤井一規です。
どんなものにも盛りがあります。
ただ人生の最盛期となるとわかりにくかったりもします。
できれば最盛期を大切にしていきたいものです。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15368/
この記事の目次
「鉄は赤く熱しているうちに打つべきである。花は満開のうちに眺むべきである。私は晩年の芸術というものを否定している」
by 太宰治(作家、「もの思う葦」より)
盛りの時期を大切にしたい。
そのタイミングでないとできなことがあったりする。
太宰は晩年の円熟の・・・というものを信じしていないという。
もうしばらく掘り下げていく。
<最盛期>
芸術作品を残した人たちについて注目してみる。
すると、時期によって作品の傾向が変わったりする。
最盛期の作品のほうが価格高く取引されていたりする。
評価の高いものが多く生み出されている時期を最盛期というのだから
それぞれの時期に味わいはあるけれども、
花はやはり満開の時期を逃さないようにしたい。
盛りの時期というものはやはりある。
ただ、晩年に最盛期がやってくることもあるかもしれない。
<人は変化し続ける>
確かに、人はどんどん変わっていく。
何によってインスパイアされるかも、
大切にする信念・価値観の変化があれば異なっていく。
加えて、インスパイアされるものが
新鮮に感じられる時期、
理解が深まった時期、
慣れが進んだ時期でも変わっていく。
その時々に感じたものが表現されていく。
<先があるからと>
私たちは、有限の時間を生きていきながらも、
未来を期待して生きていたりする。
明日が来るのはある程度当たり前だと考えがち。
そこで、まだまだ先があるからと、アウトプットを先延ばしにしてしまうことがある。
しかし、その時期にしか出せないものもあったりする。
自分で完成したと思うのと、周りからの評価も違ったりする。
その時点の最善を尽くすようにアウトプットしていくと、
得られるものも多くなっていく。
<今の最善を>
いつが最盛期だとわかるのは、きっとそれが過ぎてから。
過ぎてしまってからわかっても、遅い。
生きているかぎり、成長のチャンスはあり、
変化をし続けていくもの。
だから、完成してからと出し惜しみをする必要はない。
鉄は熱いうちに打ってこそ、性質を改善することができる。
今、このときの全力を楽しんでいくようにしたいもの。