気づきの伝道師 藤井一規です。
意見が全員一致したってことは、いいことなのだろうか?
ひょっとしたら、そうではないかもしれない。
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この記事の目次
「我々が皆同じ考え方をしたからといって、それが一番いいということにはならない。競馬だって、意見の違いがあるからこそ成り立つのだ」
by マーク・トウェイン(米の作家、小説家)
いろいろな考えかたがあるから、健全だという考え方がある。
全てが同じということは、なにか力が働いて、
他の意見を言えなくしてしまっているかもしれない。
もうしばらく掘り下げていく。
<それぞれの正しさ>
正しさは、人それぞれ違ってくるもの。
選挙投票のとき、だれに投票するかというと、
自分にメリットがある政策を打ち出している人かもしれない。
農業従事者だとしたら、農業関係者だけに増税する政策を打ち出している
候補者に投票するよりは、農業関係者は減税になる候補者を選びがち。
農業関係者でない人にとっては、その政策の重要度は
低くなるかもしれない、
一つの政策には賛成できるが、
別の政策には反対かもしれない。
何を重要視しているかで、投票する候補者は変わるかもしれない。
また、家族や知り合い、関係者だから応援投票する、
ということもあるかもしれない。
過去にお世話になったから選ぶかもしれない。
どれが正しくて、どれが間違っているというわけではない。
それぞれに正しさがあって、何を重視するかだけの差なのだ。
<違うから健全>
選挙に限らず、私たち一人一人に正しさがあって、
人とは違うかもしれない。
しかし、いろいろな正しさ、考え方があるからこそ
いろいろな視点で考えることができる。
得票率が異様に高い大統領選挙、なんてニュースが
世界から入ってくることがあるが、
現大統領をヒーロー化するキャンペーンが張られていたりする。
様々なメディアで、この大統領だから世の中が良くなった。
と宣伝しまくっていたりするが、
たまたま世界情勢が味方しているだけだったりする。
皆の意見がそろっているということは、
チェックも入りにくいということになる。
違う意見があるから健全さを保つことができたりするのだ。
<何を選択するか>
だから、人と意見が違うことを恐れる必要はない。
自分なりの基準を持ち、判断していこう。
だれもが正しさを持っている。
正しさは違って当たり前。
そのうえで、何を優先するかを決めていけばいい。