気づきの伝道師 藤井一規です。
生きていれば、なんらかの敗北を喫してしまうことがあります。
しかし、敗北を経験することと、
打ち負かされてしまうのとは違います。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15467/
この記事の目次
「わたしたちは多くの敗北に出くわすでしょう。でも、打ち負かされてはいけないのです」
by マヤ・アンジェロウ(米の活動家、詩人、歌手、女優)
敗北の辛さを経験することで、人は強くなることができたりする。
ひとつの勝ち負けが、人生の全てなどでは決してない。
もうすこし、掘り下げていく。
<敗北の経験>
人生で、うまくいくことばかりを経験することは
まずない、と言っていいだろう。
勝負をすれば、負けることだってありうる。
負ける悔しさの中から、勝ちたいという気持ちを育てたり、
どうやったら勝てるのか?を真剣に考えることができる。
もし、一度たりとも負けたことがなくて、
大事なところで敗北を喫したら、、、
どうやって立ち直ればよいのか、
わからなくなってしまうかもしれない。
実は、敗北を経験することも、生きていくうえで大切なことなのだ。
<打ち負かされる>
敗北を喫して倒れても、再び立ち上がって、
新たな段階に進もうとするならば、
負けた経験を糧にしていくことができる。
次に勝つためにはどうすればよいのか?
これまでのやり方がうまくいかないのなら、どうすればいいのか?
進もうとしていた道とは別の、
新しい道を選ぶこともあるかもしれない。
そのときにも、負けた経験は役に立つはず。
しかし、負けたことで、全てをあきらめてしまい、
やけになったり、やる気をなくしてしまうのはもったいない。
敗北は事実だとしても、
打ち負かされてしまうのとは別のことなのだ。
<何度でも>
なんど敗北しても、再び立ち上がろうとするかぎり、チャンスはある。
倒しても倒しても立ち上がってくる相手がいたら、
これほど嫌な相手はない。
前へ進もう、一歩踏み出そうという気持ちを
持ち続ける限り大丈夫。
あきらめて、考えるのをやめてしまったり、
やけになってしまう前に、できることはきっとある。
立ち上がろう、再び踏み出そうとする気持ちを持ち続け、
人生をより豊かなものにしていきたい。
ただ勝ち続けるよりも、
敗北の経験は味わった人だけにわかる価値がある。