気づきの伝道師 藤井一規です。
何もないと思えるようなところにも、
音楽を感じることができます。
音がするときは、たくさんの音の中から
音楽を聴きとることができるかもしれません。
音はしないけれど、動きがあるのなら、
そこから音楽を感じ取ることができたりします。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15496/
この記事の目次
「草のそよぎにも、小川のせせらぎにも、耳を傾ければそこに音楽がある」
by ジョージ・ゴードン・バイロン(英の詩人、男爵)
草が風にそよげば、そこに音楽を感じられる。
小川のせせらぎにも。
どんなとき、どんなところにも音楽を感じ取ることができる。
そして、それがどんな効果を生み出すのか、
もうすこし、掘り下げていく。
<音楽は命の初めから共に>
私たちは命を授かった瞬間から、いえその前から音楽とともにある。
親の身体の中には、心臓の鼓動をはじめ、
血液の流れる音、呼吸に伴うもの、リンパなどの体液の動き、
消化にともなった臓器の動き・・・
こうした音を聴き続けてきた。
これらから何らかのリズムや旋律、ハーモニーを感じてきた。
これらの音楽は、母の胎内の安心・安全を想い出させてくれたりする。
そう、私たちは音楽のある所が慣れている。
<音楽を感じてみよう>
日々の暮らしの中で、音楽を感じる時間はどれくらいありますか?
誰かが作ったり、演奏した音源を聴くこともあるかもしれません。
自然の中にある音楽を、
たとえば草のそよぎ、小川のせせらぎ、
木々の葉がざわめく音・・・
そんな音楽を感じるかもしれない。
行列を作っているアリたちは、どんな音楽ともにいるだろう?
音がしていなくても、その様子から、どんな音楽が流れているか、
想像することができる。
そして、音楽を感じていると、
現実にある辛さや苦しみのなかにいても
不思議な落ち着きが生まれてきたりする。
意識が、否定的な現実に囚われた状況から、
自然に別のところに離れることができたから。
<音楽を楽しもう>
音楽をもっと身近に、気軽に楽しもう。
出来上がった音源がなくたって、身の回りにいっぱいある。
私たちの身体の中は音楽がいっぱいだし、
自分自身で歌うことも、
身体を動かして音楽を表現することもできる。
音を楽しんでいると、気持ちも明るくなっていく。
身近な癒しが、楽しみがそこにはある。