気づきの伝道師 藤井一規です。
あなたは自分の間違いを指摘されたとき、
どんな反応をしているでしょうか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15572/
この記事の目次
「あなたのあらゆる言動をほめる人は信頼するに値しない。間違いを指摘してくれる人こそ信頼できる」
by ソクラテス(古代ギリシアの哲学者)
人からの指摘が、的を得ていないこともあるかもしれない。
しかし、一方的にやり込めようとするというよりは、
そこにあなたへの期待があることに気づいていきたい。
もうすこし、掘り下げていく。
<野村流>
プロ野球の名将と呼ばれる野村克也監督は、
褒めないことで有名だ。
しかし、数多くの名選手を生み出したり、
野村再生工場などと言われ、力尽きようとしていた
選手の力を引き出し、再び活躍させること長けていた。
今や大リーグ、ニューヨークヤンキースの大黒柱の田中将大も
叱られてばかりで知られていた。
彼はインタービューを受けて、
「別に誉められたいとは思わないです。(中略)
叱られるということは、『お前はまだまだ伸びる』って言われているのと同じだと思うから、
叱られて喜べなければ、一流にはなれないと思います。」
野村さんは、もっとできるはずを示し、
それに応えようした努力がぴったり来た選手たちは、
大きな成長をすることができた。
<褒める長短>
褒めることにはメリットがある。
褒められることで、うれしい気持ちになれるのは確かだ。
褒められたいという思いは、褒められようとする行動を引き出す。
しかし、褒められさえすれば良い。
ということにすり替わってしまいがち。
褒められることで、さらに自分を成長させよう!
という思いにつながればよいが、
褒められたからもう満足。になるとしたら考えもの。
何が褒められるかを察知し、
それ以外をしなくなってしまったりしがち。
望ましい成長につながるかどうか、
よく考えてみる価値がある。
<成長のために>
できていることを褒めることは良いと考えられるが、
プラスして、
さらなる成長のために、何があればよいのか?
残っている間違いは何か?
耳の痛いことを言ってくれることほど、
有難いことはない。
年齢を重ねれば重ねるほど、耳の痛いことを言ってくれる人は
減ってしまいがち。
しかしそういう人たちほど、大事な人なのだ。