気づきの伝道師 藤井一規です。
知能は高いほうがいいかもしれない。
しかし、高いだけで良いか、というとそうでもなさそうです。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「自分の知能を誇りに思う知性派の人間は、自分の大きな独房に誇りを持っている死刑囚のようなものです」
by シモーヌ・ヴェイユ(仏の哲学者)
知能は高いほうが望ましいかもしれない。
しかし、高いからといって、それを自慢したところで、
得られるものは少ない。
知能をどう使うか、使う自分をどうとらえていくかのほうが重要と思われる。
もう少し、掘り下げていく。
<知能指数>
知能指数と呼ばれるものがある。
テストの結果から、IQがいくつといった数値で頭の良さを示そうというものだ。
確かに、スコアが高いほうが、ある賢さを示していると思われる。
しかし、ひとつの測り方、というだけで、
脳の能力の全てが測れているわけではないし、
これだけのスコアだから、あいつより2倍頭が良い、といったことにはならない。
もちろん、広く認知されているものだし、
ある程度有効性はあると思われる。
<知能は向上する>
なんとなく知能指数はその人の
ラベル付けに使われてしまう傾向にある。
知能指数いくつだから、頭良い人、頭悪い人みたいに。
しかし、知能指数は経験を積んだり、トレーニングすることで
向上させることが可能なものだ。
それに、知能の高さを自慢したところで、
高慢な人だと思われてしまうのがおち。
知能を何に使うか、どう活かしていくかまでを含めてはじめて、
認めてもらえるものになっていく。
<知能と知性>
知能が高くても、社会生活を送るうえで、
残念な人はやはりいる。
せっかくの知能を犯罪につかってしまっている人もいる。
そう、知能が高いかどうかより、
その知能をどう活かしていくかのうほうが大切。
頭が良いというだけで終わってしまってはもったいない。
知性として発揮し、より幸せに、
より豊かな人生にするために活かしていきたい。
<人間性>
気づいておきたいのは、知能の高い低いと、
人の価値とは関係がないということだ。
それに知能と人間性との直接の相関関係はないといっても良さそうだ。
むしろある程度高いほうが、より選別的になりやすいかもしれない。
より幸せになるために、どんな成長をしていくか。
確かに知能を磨くのも一つの選択肢。
しかし、知能がすべてだと思ってしまうのは
間違っていそうだ。