気づきの伝道師 藤井一規です。
思い通りにいかないことってあるものです。
そのときに、どう対応するかが、人生を左右したりします。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「私が成功したのは、決して弁解したり、弁解を受け入れなかったからです」
by フローレンス・ナイチンゲール(英国の看護師、統計学者、看護教育学者)
物事がうまく進まないとき、
ついあれこれと弁解してしまったりするもの。
しかし、成功の秘訣は弁解しないことだと
ナイチンゲールは言う。
もう少し掘り下げていく。
<弁解の心理>
いろいろな場面で、あれやこれやと
弁解をしている人を見かけたりする。
特に失敗したり、うまくいかなかったときには、
顕著にそんな言動が現れる。
私たちは
自分自身が傷つくこと、蔑まれること。
自分に価値がないと示されてしまうことを恐れている。
そこで、自分の責任ではないことを示そうと、
自分を守るための策として、弁解し始めたりする。
弁解には、自分を守ろうとする意図がある。
<弁解できると考えると>
問題は、これは弁解できる、と考えたとき、
さらなる策を打っていこう!
という熱意を失ってしまいやすいことだ。
ちょっと努力すれば達成できるような状況ならともかく、
大きな困難を伴うような事態に直面したとき、
弁解をし始めてしまうと、
乗り越えることが困難になってしまう。
自分は正しい、正当だと主張するばかりになって、
自分を変えたり、挑戦することをあきらめてしまったりする。
<弁解しない>
もちろん、自分の役割の範囲だけでは
解決することは困難かもしれない。
しかし、その困難には自分に責任がある、と考えたとき、
自分にできることって何だろう?
と、問い続ける必要が出てくる。
弁解が始まると、今のままの自分を
守るだけになってしまいがち。
弁解をやめたとき、何かを変えて、自分を変えて、
成長させていくことが始まっていく。
<弁解を受け入れず>
誰かの弁解が始まったと感じたとき、
それを許してしまうのは、今の状況から抜け出すのを遅らせることになる。
下手をしたら、抜け出すことができなくなってしまうかもしれない。
だから、自らは弁解せず、仲間の弁解が起きても、
単に受け入れるだけで終わらせないようにしていく。
気持ちは受け留めたうえで、
どのようにしたら次に進めるのか?
考えが、行動が進むようにしていく。
すると、何とかしようとする、
あきらめない心が育っていく。
簡単にあきらめてしまうより、
難しくても、粘って、何とかしようという気持ちがあるほうが
困難を乗り越えることができるもの。
弁解をしないってことをもっと意識してもいいかもしれない。