気づきの伝道師 藤井一規です。
髄膜炎になり、視覚、聴覚、そして発声を失った
ヘレン・ケラーが、いかにして積極的に生きる意欲を持っていったのか。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15745/
この記事の目次
「世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、目で見たり手で触れたりすることはできません。それは、心で感じなければならないのです」
by ヘレン・ケラー(米の教育家、社会福祉活動家、著作家)
今、自分が視覚、聴覚、発声を失ってしまったら、
ヘレンのように、積極的に生きる意欲をもつことができるだろうか?
もう少し掘り下げていく。
<奇跡の人、サリバン>
1歳7か月にして視覚も聴覚も失ってしまった娘。
両親は娘とどう向き合っていくか、真剣に考えた。
そして、いろいろと調べていき、
充分、立派な人間として生きるための教育は
可能だと考えた。
そこで、家庭教師を推薦してもらえるように、
電話の発明者で障害者教育につくしていた、
アレキサンダー・グラハム・ベルの協力を得、
自らも幼少のころ弱視を経験していた、
アン・サリバンを家庭教師として迎えることができた。
そしてヘレンの人生は変わっていく。
奇跡の人とは、アン・サリバンのことだ。
<言葉>
まず、アンはまず、語彙を増やしていくことに力を注いだ。
体感覚と、指で掌に文字を書く、指文字との組み合わせは、
アン自身の経験からの知恵だ。
一旦、自分の心の中に、その言葉がもつイメージ、音、
そして感覚が湧くようになると、
直接体験していないことであっても、
その言葉を聞いただけで、
それがどんな風に見え、どんな音がし、どんな感覚があるのかを
自分の中に生み出すことができる。
私たちも、誰かのいうことを聞いて共感することができる。
まるで、自分が体験したことのように感じることが可能だ。
<最も素晴らしく、最も美しいもの>
単に見えること、感じることができることだけでは、
ただの事実に過ぎない。
それが、どんなに素晴らしく、美しいものであったとしても、
目から入ってきた情報は、ただの電気信号となって脳に伝えられる。
耳から入ってきた情報も、ただの電気信号となって脳に伝えられる。
その手で触れた感触も、身体が感じた感覚も
ただの電気信号となって脳に伝わるに過ぎない。
素晴らしいって、美しいってわかるには、
刺激を受け取った脳が、統合して言語化し、
心として反応して初めて起きることだ。
ただの事実から素晴らしいものを見つけ、感じ、
反応できる心を持ちあわせていきたいものだ。