気づきの伝道師 藤井一規です。
誰かに依存しなければならない状況でいるということは、
依存先を失うことを恐れ、不安を抱えていることになります。
できれば依存することなく、自立していたいと思うものです。
しかし、人は一人きりでは生きられません。
自立とは何なのか、
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「人は全て自主独立すべきものである。自立の精神は人への思いやりと共に人生の根本を成すものである」
by 渋沢栄一(日本の武士、官僚、実業家、日本資本主義の父)
自立。
なんだか立派に思える言葉だけれど、
深く意味を考えたこと、ないかもしれない。
しばらく掘り下げていく。
<依存は悪か?>
自立した状態ってどんな状態?
例えば、こんなこと。
自分のことは自分でできる。
他人に頼らずに生きられる。
一人で行動できる。
・・・
他には、どんな答えを持っているだろうか?
そして、自立したい。
依存したらダメ。依存 >> 自立していない。
そう思っていたりする。
自分の稼ぎで生活できる=経済的な自立で、
それができない自分はダメ。
そんな風に考えている人が多いかもしれない。
しかし、人が生きていくには、全く自分一人、
誰にも依存しないってことはまずありえない。
<自立している人も依存している>
会社から給料もらっているとすれば、
会社に依存している。
自営業だって、顧客との関係があってこそ。
「自分は自立している」と自慢している人ほど、
実は自分が多くに依存していることに気づいていなかったりする。
経済的な面だけでなく、精神的にも、
大切な誰かとの関係があるからこそ生きていけている。
引きこもりの状態であっても、外の世界との関係を断っていられない。
どこかで、社会とのつながりを持ち続けていたりする。
どんな人も、自分一人の世界で済んではいないはず。
ということは、「自立している人」も、
必ず何かに依存していることになる。
<自立とは>
「自立した人」とは、どうも依存しない人ではないようだ。
すると「自立した人」とは、逆に
自分が依存していることを知り、
依存先を大切にできる人のことではないだろうか?
大切なものが何かを知り、
自ら大切にしていくことができること人なのではないか?
きっとそれは、依存先のことだけでにとどまらない。
しっかり現状を認識し、自分で考え、
自分が大切にしたいことを大切にするために
行動していく人のことを指すのではないか。
誰かに言われたからするとか、
状況に流されてするのではなく、
自分のしたいことを自分で見つけ、
行動していく人のことだ。
そして、その自分の行動に責任を持てる人のこと。
<自立しよう>
依存しないことが自立ではない。
依存という言葉が嫌ならば、おかげを受けていると言い換えてもいい。
人は、多くのおかげを受けて生きている。
そして、自立した人は、自分が大切にしたいものに気づき、
実際に大切する行動がとれる。
そこにはきっと、人への思いやりが生まれてくるだろう。
より幸せになるために、自立しよう。
自立は、人生の根本をなす。
だからまず、自分が何のおかげでいられるか、考えてみたい。
そして、それは好ましいことか?を。
好ましいなら、そのおかげを大切にするには、どうしていけばいいか?を。
きっと役に立つ。