気づきの伝道師 藤井一規です。
NHK大河ドラマで、これ以上の戦乱を避けようとする徳川慶喜の命を守るべく
西郷隆盛に会いに、単身駿府に向かった山岡鉄舟(鉄太郎)の姿が描かれていた。
彼がいなければ、江戸城無血開城はならなかったと言われている。
血眼になって慶喜の命を取ろうとしていた西郷隆盛を動かした
鉄舟の考え方がどんなものだったか。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「無刀とは、心の外に、刀が無いこと。敵と相対するとき、刀に拠ることなく、心を以って心を打つ、これを無刀という」
by 山岡鉄舟(幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家)
頑なであった西郷隆盛の心を動かした山岡鉄舟。
鉄舟にあったものとは何なのか?
もうしばらく掘り下げていく。
<無刀流>
無刀流という剣術流派を作った鉄舟。
神陰流や北辰一刀流の剣術、樫原流槍術を学び、
若くして、剣術の達人と呼ばれていたが、実際に人を切ったことはなかったという。
幕末の混乱の時期、人を何人も切り殺してきた剣豪が
鉄舟のことを聞きつけて、対決試合を申し込んだ。
人を切ったことのない若造と、なめていた。
試合は、互いに構えあったものの、
剣豪は一歩も動くことのないまま降参したという。
動けば即切られてしまうことを
感じ取ってしまったからだった。
物理的な刀で切り付けるのではなく、
心のチカラを相手に向け、心を打とうとするのが無刀流。
<気迫のチカラ>
江戸城に攻め込もうとしていた官軍。
事前の承諾もないまま、官軍の拠点の中を堂々と歩いて
西郷隆盛に会うことさえ、常人には困難であっただろう。
鉄舟が来たことを知り、阻止しようとした人たちもいたが、
あまりにあっという間であったため、追いつけなかったという話も伝わっている。
その場にいた人たちが、いかに鉄舟の覚悟、気迫に押されていたかがよくわかる。
どんなことでも、気迫を持って取り組むのと、
そうでないのとでは大きな違いを生み出す。
武器で脅していくよりも、
気迫をこめたほうが勝るのだ。
<同じ人として>
面会の際、西郷隆盛はこれらの条件を飲めばと、
5つの条件を出す。
拒める立場にはないとする西郷に対し、
鉄舟は、将軍慶喜を備前藩にあずける。
という条件を拒む。
朝廷の命令という武器を示して凄む西郷にもひるまず、
「あなたも島津候が同じ立場なら、飲まないだろう」と対抗する。
借り物の武器に頼ることは、何かが足りないと
気づいていた鉄舟。
本当に大切にしているものを護ろうとする気迫。
その気迫は、西郷隆盛の心も動かしていった。
<覚悟と気迫>
鉄舟ほど達観して生きることは難しいかもしれない。
人生にはさまざまな困難が襲ってくることもあるだろう。
全てにベストを尽くすのは難しくても、
ここ一番。ここだけはやり通す。守り通す。
そんな覚悟をもって取り組むことができる人でいたい。