気づきの伝道師 藤井一規です。
今までで一番怖かったことはどんなことですか?
どんな人にも怖いものってあったりします。
怖いものは不安を掻き立てます。
もし、克服できたとしたら、どんなに素晴らしいことでしょう!
恐怖の克服について、しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16020/
この記事の目次
「怖いものがあっても、それ自体にわたしたちを支配する力はないわ。それを怖がる自分の気持ちに支配されてしまうの。真実を見つめれば、きっと不安から解放されるわ」
by オブラ・ウィンフリー(米の俳優、テレビ番組の司会者兼プロデューサー、慈善家)
怖いものそのものには、私たちを支配する力はないというオブラ。
ならば、克服する方法もあるはず。
どうしていけばよいのか、
もうしばらく掘り下げていく。
<恐怖を感じる理由>
私たちには恐怖を感じる能力がある。
恐怖を感じられるということは、それだけ知的能力が高い証拠。
危険が存在していることを察知できているということ。
もし、恐怖を感じることができないとしたら、、、
スピードを出して走っている車がいても、
平気で道を渡ろうとしてしまうかもしれない。
足を踏み外せば落ちてしまうようなところでも、
安全を確保しないで行こうとしたりするかもしれない。
猛毒や猛獣を平気で刺激してしまったり。。。
恐怖を感じるチカラがあるから、
危険から身を守ることができる。
恐怖を感じられるということは素晴らしい能力なのだ。
<学習による恐怖>
しかし、必要以上に恐怖の感情が起きることもある。
そうすると、自分を守るための恐怖は、
自分のしたいことを妨げるものとなってしまう。
私たちには様々なことを学習する能力がある。
だから、過去に嫌な体験をすればそれを避けようとしたりする。
例えば、人前で話したときに嘲笑されてしまったとしたら、
多くの人の前で話すことが恐くなってしまったりする。
また、自分では実際には体験していなくても、
誰かほかの人が経験している様子を見たり、聞いたりして、
酷いことが起きると認識するだけでも
学習による恐怖が生まれたりする。
誰か他の人が人前で話したとき、
その人がひどい目に遭ったとしたら、
自分もそうなるかもしれないという想像が働くからだ。
<恐怖の克服>
過剰な恐怖を克服するには、どうすればよいだろう?
怖くなんかない。と自分に思い込ませようとしても、
なかなかうまくいかないもの。
まず、恐怖を感じていることを素直に認めていきたい。
恐怖を感じるということは、自分を大切にしようとしていることの証明でもある。
しかし、「恐怖には実体がない」ということにも気づいていきたい。
恐怖を感じているときは、恐れていることは実際にはまだ起きてはいない。
起きる前の想像力が恐怖を生んでいるからだ。
人の想像力は無限に拡がるチカラを持っている。
現実の危険性はほんのわずかなのに、ものすごい恐怖になったりする。
そして、怖さがあるのは、
恐怖に自分の意識が向かっている間だけだ。
ということは、意識が向かう先を恐怖ではなく、
もっと適切な、向けたほうが良いことに向けることができると、
意識は変わっていく。
<適切な意識>
冷静になって、どれだけの危険があるのかを考え、
少しずつ成功体験をして慣れていく
という方法も過剰な恐怖の克服には有効だ。
自分にとって、重大なこと、大切なことであればあるほど、
護ろうとして恐怖の感情が生まれてくる。
恐怖は大切なものだ。
しかし、重大なこと、大切なことであればなればこそ、
恐怖に意識を向けるよりも、もっと意識を向けたいことがあるはず。
そこに意識を集中すれば、一瞬で恐怖は消えてしまったりする。
意識を適切なところに向けること。
心に留めておきたい。