気づきの伝道師 藤井一規です。
自分のことを笑ったことはありますか?
自分を笑えることは幸せの第一歩、なんて言われたりします。
ちょっとピンとこないかもしれませんが、
意外に大切なことだったりします。
どうしてなのか、しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16034/
この記事の目次
「自分のことを笑えるようになるまでは、決して幸せにはなれない」
by ドロシー・ディックス(米のジャーナリスト、コラムニスト)
誰しも、人から嘲笑されることは避けたいと思っている。
しかし、自分のことを自分で笑えるとき、
誰かから嘲笑される悲劇から解き放たれた、
もっと自由な存在であることに気が付く。
もうしばらく掘り下げていく。
<笑われるとき>
人から嘲笑されるのは、とても嫌な体験だ。
次に成功しよう!という思いよりも、
こんな自分でいたくない!って思いが膨らんでしまい、
大きく傷ついてしまったりする。
もし、誰かを嘲笑する立場にいるとしたら、
単にその瞬間の出来事についてだけでなく、
相手をものすごく傷つけている可能性がある。
ということに気づいておきたい。
<好意の笑い>
他人を傷つけてしまう笑いもあるが、
笑いには、好意を持っているがゆえのものもある。
一緒にいられる幸福感があるときや、
愛らしさ、愛おしさを感じるとき、
自然に笑顔になったりする。
笑いには、相手への愛情や、許しの気持ちを含む可能性もある。
<客観性>
誰かのことを笑うとき、
対象となった誰かの立場からは笑えない。
その誰かの中にいるのではなく、
離れた立場から捉えている。
それは、貶めているときも、愛情をもっているときも同じだ。
ということは、もしうろたえるような大失敗したときに、
「しょうがないなあ、やっちゃった、あっはっは!」
って、笑えるとしたら、
うろたえた自分から離れることができている証拠だ。
実は、これはとても重要なこと。
<心に余裕を生む>
人は、不幸に囚われているとき、
落ち込んでいるとき、苦しんでいるときは、
暗黒な状態に入り込んだままになっている。
そこから抜けられなくて悩み苦しんでいたりする。
もし、そんな自分を客観的に見つめ、捉え、感じることができるなら、
その間、不幸や落ち込みや苦しみから離れることが出来ているってことだ。
それは、心に余裕が生まれた証拠。
自分のことを自分で笑うことができると、
それは自然に達成される。
もし、誰かがあなたのことを嘲笑したとしても、
一緒になって笑ってしまおう。
すると、自分のことを笑うまでは、
まるで恐ろしい攻撃にさらされていたように感じていたのに、
笑った瞬間、ウソのように攻撃を感じられなくなる。
<幸せとは>
人が幸せを感じるとき、心に、そこに幸せがあると感じる余裕が必要だ。
自分のことを笑えるなら、心の余裕を作ることができている。
さらに自分のことを笑うとき、その笑いには自然に自分への愛しさが含まれていく。
誰かが、どんな痛い笑いを向けてきても、
自分がする愛しさのほうが強い。
自分のことを笑えるのは、幸せのためにとても役に立つ。