気づきの伝道師 藤井一規です。
勝負するなら、勝ちたいと思うものです。
しかし、初めから勝てるとわかっている戦いしかしないのでは、
成長しにくいかもしれない。
しばらく考えていきます。
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http://shitsumon-alacarte.com/mental/16067/
この記事の目次
「臆病者は、勝つと分かっている戦いしかできない。だがどうか、負けると知りつつも戦える勇気を。時に、勝利よりも価値ある敗北というのもあるのだから」
by ジョージ・エリオット(英の作家)
敗けるのが怖い、という気持ちは理解できる。
しかし、困難な戦いを避けるばかりでは、大きな成長も見込めなかったりする。
もうしばらく掘り下げていく。
<勝てる戦い>
明らかに勝てる戦いをするのは、誰にでもできる。
しかし、勝てる戦いしかしないようにしているとしたら、
自分の成長を止めてしまっているかもしれない。
負けることを恐れるあまりに、
挑戦することができなくなっているかもしれない。
困難な戦いであれば、勝つために今までとは違う工夫や、
努力をすることになったりする。
それは、自分の成長にもつながっている。
もちろん困難な戦いを仕掛けていけばいいというものではない。
ただ、困難な戦いであっても、ここ一番、戦うことが必要
というときには戦う気持ちを持てるようにしておきたい。
戦いの価値は、勝ち負けだけにあるのではない。
<戦うとき>
戦うべきときには、戦うことが必要になる。
もちろん、闇雲に突っ込んでいけばいい、というものではない。
勝つために、どうすればよいか考え、工夫し、
準備を整える時間を稼ぐ必要があるかもしれない。
感情的になってやりあってしまうのも考えものだし、
何のために戦うのか、戦って何を得たいのか、
熱い想いをもって戦うことができるかは、大きな違いをもたらす。
単に勝つためを目的にするのではなく、
戦った先にあるものを目指していきたい。
<価値ある敗北>
単に無謀な戦いを仕掛るのではだめだけれど、
格上の相手でも、ひるむことなく戦う姿勢は、
周りの人からも認められるもの。
その結果、健闘することができれば、価値ある敗北と言われたりする。
自分の自信にもなるし、支援してくれる人も現れてくる。
勝つため、ルールで認められているからと、
明らかに卑怯と受け止めれられる手段を使って勝ったとしても、
真の称賛は得られない。
勝ちさえすればいいとは限らない。
負けて手に入るものもあるのだ。
最終的な目的地が先にあるならば、
その場の負けも財産にできる。