気づきの伝道師 藤井一規です。
人生において、多くを手に入れている人と、
そうでない人とを比べたとき、
どんな違いがあるのでしょうか?
しばらく考えていきます。
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http://shitsumon-alacarte.com/mental/16096/
この記事の目次
「君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団駄を踏んでくやしがる男だ。そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。なぜ山の方へ歩いて行かない」
by 夏目漱石(作家)
人は他人が恵まれているとわかると、
うらやましく思ったりするし、
ズルい人がいれば、批判したくなったりする。
しかし、たくさん得たいならば、
与えられるのを待つだけでは足りなかったりする。
もうしばらく掘り下げていく。
<世界の中心>
私たちは、自分自身に起きることだけが体験できる。
他人に起きたことを我が事のように感じることはできるが、
やはり、他の人と全く同一になれることはなく、
自分が感じていることだ。
全ては自分があって初めて起きるように感じている。
誰もが、自分を軸にして感じるし、自分を軸に考えるものだ。
そしてそれはときに、自分が世界の中心にいるような感覚を
もたらしたりする。
<自己中心性>
自己中心的な考えは、誰にもあったりするもの。
しかし、人は生きていくことに一生懸命になりがちで、
自分の考え方の傾向に気づきにくかったりする。
特に自己中心的な傾向が強い人は、
他人からの承認や、自分が優位かなど、
他人との比較や、周りから優遇されているかなどに敏感になっていて、
頭の中がかなり忙しい状態になっていたりする。
すると心の余裕が失われ、我慢できなかったり、
すぐに他人や周りを批判したりし始めてしまう。
<誰もが自己中心性を持つ>
人は生まれてきたとき、
お乳や心地よい環境といった、欲しいものを
与えられないと生きていくことはできない。
自己中心的な欲求が、見事に満たされた環境で育っていく、
そう、必要なもの、欲しいものは与えられるのが当たり前だった。
どんな人にも、与えられる幸せがあった。
この時期に与えられる幸せを満喫できたかどうかは、
成長してからにも影響があるという。
与えられない不満を抱えていると、
与えられない可能性に敏感になり、過剰に反応してしまったりする。
<成長とともに>
与えられることだけを期待している状態は、
小さな子供がわがまま放題になっている状態に近い。
与えられないから、これができない、あれができないって、言い訳したり
与えない相手が悪い、社会が悪いって批判や避難ばかりしていたりする。
体験したい山があるなら、山に近づいて来いとか、誰か持ってこいとか
なぜ持ってこないんだって怒ったりする前に、
自ら近づいていけばいい。
自ら動けば、好きなところに行くことができる。
文句をいうことに時間を使うより、より楽しむことに時間を使いたい。
あの幼少の頃よりは、成長した自分がきっといるはず。