気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちは、たくさんの足りないものがあると思っていたりします。
しかし、本当にそうでしょうか?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「君の中には、君に必要なすべてがある。『太陽』もある。『星』もある。『月』もある。君の求める光は、君自身の内にあるのだ。」
by ヘルマン・ヘッセ (独の作家 )
社会生活をしている私たちは、比べることが得意。
すると、自分には不足している
と思っているものを持っている人がいると、
うらやましく思ったりするもの。
しかし、ヘッセは全てが自分の中にあるという。
どういうことなのか、
もうしばらく掘り下げていく。
<足りないもの>
何気なく、「足りないもの」という言葉でgoogle検索してみた。
すると、「足りないもの診断」「足りないもの占い」
なるページが上位にたくさん現れた。
これは、足りないものという言葉に敏感なひとが多いことの
一つの証明かもしれない。
たしかに、すでに持っているものは、
持っていて当たり前になっている。
当たり前のことは手に入れる必要もないし、
つい足りていないもののほうに意識が向かいやすい。
それに、比べることが得意な私たちは、
持っていれば優越感を持ち、無ければ劣等感を抱いたりしがち。
<足りないことが判るってことは>
しかし、足りないことが判るってことは、
足りないものがどんなものかを知っているってことだ。
自分の中に全く無いのであれば、
何が足りていないのかに気づくこともできないはず。
自分の中にあるからこそ、
何が足りてないのかが判る。
私たちの中に、認識できるものはすでにあるのだ。
太陽の光がどんなものか、
星明かりがどんなものか、
月の光がどんなものなのか、
わかるということは、
あなたの中にすでにあるからだ。
<すでにあることに意識を>
私たちは認識できるものをすべて持っている。
ただ、同時に相反するものになることは難しい。
太陽は、太陽であると同時に月になることはできないように。
太陽が太陽であることをやめて、
月になろうとしても、うまくはいかないし、
太陽の良さも失ってしまう。
足りないものを求めたり、持っている誰かをうらやましく思って、
自分を卑下する必要はない。
すでに、自分にも全てあるのだし、
もし特定の何かが他の人より少ないところがあるのだとしても、
自分のほうによりあるもの、自分の良さはきっとある。
<照らされる側だって>
月は太陽をうらやましいと思っていたら、
太陽は月をうらやましいと思っているかもしれない。
太陽や月のように、輝く存在になりたいけれど、なれてないって
苦しんでいる人がいるかもしれない。
しかし、光る側にとっても、光に照らされる側があるからこそ
光りがいがあるというもの。
光を出せないからと言って、明るく目立たないからと言って
役に立っていないなんてことはない。
せっかくの光をありがたく頂戴しながら、生きていていい。
それぞれが、存在してていい。
生きていていい。
そして、せっかく生きているならば、
自分らしく命を輝かせていたい。