気づきの伝道師 藤井一規です。
ありのまま、という言葉が話題になり、
もてはやされました。
たにかに、今の自分を否定してしまうばかりでいるとしたら、
考え直したほうがいい。
しかし、本当に「ありのまま」、だけでいいのでしょうか?
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16141/
この記事の目次
「一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことだ」
by ミゲル・デ・セルバンテス(西の作家「ドンキホーテ」より)
確かに今の自分は大切。
しかし、ただ日々に流されていていたり、
周りの状況に妥協してばかりいるのだとしたら・・・
もうしばらく掘り下げていく。
<ありのままと、あるがまま>
ありのまま、と、あるがまま。
分けて考えるべきだ、とする人もいる。
違いを追究していくのも興味深いところではあるけれど、
ここではどちらも現状の姿そのまま、という意味でとらえていく。
<あるべき姿>
私たちは、つい日常に流されてしまいがちだ。
「いつも」を続けていれば、大きな問題が起きにくいのも確かだ。
しかし、ゆでガエルで例えられるように、
今のままでいたら、茹でられて死んでしまう状況になるかもしれないのに、
今いる鍋から飛び出せないでいるとしたら大きな問題だ。
なんとかはなるが、楽しくない、面倒、退屈。。。
そんな毎日になっているとしたら、
じっくり考えてみる価値がある。
ただ単に流されているだけなのか、
しっかり選択をした上なのか。
本当はどうしていきたいのかを。
<そのままで素晴らしいとは>
あなたはそのままで素晴らしい
あなたはそのままで愛される価値がある
という言葉は大きな救いになる。
しかし、だから何もしなくてもいい
ということとは違うことに気づいておきたい。
人は今のままの自分であっても
大きな贈り物をもたらすことができる。
そして、大きな可能性も持っている。
理想的な現状ではないかもしれないけれど、
できることはたくさんある。
むしろ、理想的な現状ではないから、
良い望ましくあろうとしていくことができる。
<意思をもって>
あるがままの自分と、あるべき自分を考えたとき、
自分に足りていないものや、伸ばしていきたいところが明らかになる。
もちろん気づいたものすべてにダメ出しをすればいいというものではない。
何が重要かを見極めて、重点的に取り組んだほうがいい。
必要であれば戦ってでも、という意思を持つ必要がある。
つい流されがちな自分や、
抵抗する周りがいるとき、
自分の意思をしっかりもって進んでいきたいもの。