気づきの伝道師 藤井一規です。
愉快な人生を送れたとしたら。
誰もが望むことかもしれません。
しかし、人生に心配事もつきものだったりします。
どのようにしていけばよいのか、しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16289/
この記事の目次
「船に乗っても、もう波が出やしないか、嵐になりゃしないか、それとも、この船が沈没しやしないかと、船のことばかり考えていたら、船旅の愉快さは何もなかろうじゃないか。人生もまたしかりだよ」
by 中村天風(思想家、教育者、著述家)
誰しも心配事はあるもの。
しかし、マイナスなことが起きるのではないかと、
恐ろしい想像や、心配ばかりしているとしたら、もったいない。
もうしばらく掘り下げていく。
<船に乗ったら>
大海原の上に浮かぶ船。
確かにその船が沈むようなことがあれば、
あなたの命は危険にさらされることになる。
大きな波がやってくれば、大きく揺れるかもしれない。
嵐がやってくれば、船酔いになるかもしれないし、
最悪沈んでしまうかもしれない。
船で火災が起きてしまったら、大変だ。
逃げる場所はない。
他にも
岩礁に乗り上げてしまったら。。。
別の大きな船とぶつかったら。。。。
ひょっとしたら、宇宙から隕石がやってきて、
船を破壊してしまったら!
恐ろしいことを想像しようとすれば、
数限りなく思いつくことができる。
<心配>
心配するということは、文字通り
心を配ることだ。
考える対象のために心を割り当て、使っていくことになる。
それが、恐ろしいことであれば、
恐ろしさを体感することになる。
心配を全くしない、というのもどうかとは思うけれど、
心配している間は、喜びを感じることができなくなってしまう。
様々な可能性があり、望まないことが起こることもありうるけれど、
起きていないうちから
恐ろしかったり、残念な感覚を抱き続けているとしたらもったいない。
同じ心を配るなら、
幸せなこと、うれしいこと、楽しいことに振り向けたい。
<楽しむ>
ひとは想像するという能力がある。
ありありと想像ができるとき、
それは実際に体験しているのと同じか、
それ以上の強い反応を示すと言われている。
私たちは、実際に体験していることも、
目や耳、身体から感じ取った信号をもとに、
脳が構成して解釈を加えている。
それは、想像しただけでも起きることだし、
現実よりも強くすることもできる。
同じように心を配るのなら、
幸せなこと、うれしいこと、楽しいことに振り向けたい。