気づきの伝道師 藤井一規です。
人生には限りがあり、したいことを成し遂げられず、
終えなければならなかったりします。
人生の短さについて
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16318/
この記事の目次
「人生は短いのではない。我々がそれを短くしているのだ」
by ルキウス・アンナエウス・セネカ(古代ローマの政治家・哲学者・思想家・詩人)
人生を短いと感じてしまう人が多いのはなぜなのか?
セネカは、それは私たちのせいだという。
どういうことなのか、
もうしばらく掘り下げていく。
<多忙>
日々多忙だと感じている人は多い。
いつか多忙な日々を終えて、のんびりとリタイヤ生活を送りたい。
そんな風に考えていたりする。
「忙しい」の「忙」という漢字が、「心を亡くす」と書くように、
心のない時間をたくさんすごしていたりする。
そのままリタイヤしても、
心ある時間を過ごすことを意識しなければ、
充実した人生を送ることはできなかったりする。
<浪費>
人間の平均寿命は伸びている。
しかし、人生50年と言われた時代と比べたら、
日本では1.6倍の80年になっている。
では、人生が短いと感じる割合は減ったのか? といえば、
それほど変わらないか、
むしろ増えてしまっているのではないだろうか。
過去の偉人と言われる人たちを見てみると、
20代、30代で亡くなりながらも、
凄いことを成し遂げていたりする。
何か価値あることに注いだ時間と、
それ以外の価値を生みそうもないことに注いだ時間とがあり、
後者に浪費されている時間がどんどん増えてしまっているかもしれない。
<刹那的>
セネカの生きた、ローマ時代からすでに、
今日の言葉の考え方があった。
人はつい刹那的に流されたり、
生活のための多忙に心を奪われていたりする。
現代はスマホの画面のなかに多くの時間を
吸い取られてしまっているかもしれない。
それが、素晴らしい人生のためになっていればよいのだが、
ただ他の仲間に合わせるためだけだったり、
情報の多さにただ翻弄されてしまっているかもしれない。
<何に時間を使うか>
それが何年であろうとも、
人生の時間には限りがある。
ただ日々流されているだけだとしたら、
人生の短さを嘆くことになりやすい。
限りある時間を、いかに有意義なことのために使っていくか、
もっと意識してもいいかもしれない。
充実した人生を送ることができたとき、
それがいつ終わろうとも、
満足することができる。