気づきの伝道師 藤井一規です。
妬みの気持ちを抱いたり、
妬まれたりすることってあるものです。
しかし、どんなときに人は妬みの感情を持つのでしょう?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16331/
この記事の目次
「行動と情熱がなくなると、その世界は妬みに支配される」
by セーレン・オービエ・キルケゴール(デンマークの哲学者、宗教思想家)
成功している人たち、幸せそうな人たちを妬んでしまう。
そんなことってあるもの。
しかし、できれば他人であっても、
うまくいっていることを喜び、
自分もうまくいかせたいもの。
どうあればよいのか、
もうしばらく掘り下げていく。
<妬んでしまうとき>
どんなときに妬みの感情が湧いてくるだろうか?
自分がどんなに努力してもうまくいかないとき、
大成功している人を見たら、
妬んでしまうかもしれない。
もし、自分のほうがうまくいっているとしたら、
妬みの気持ちは湧いてこないだろう。
自分は苦しんでいるのに対して、相手のほうが、
楽して、美味しい目にあっていると思ったとき。
いや、苦労していても自分が本当にやりたいことなら、
充実感があるのなら、あまり気にならないかもしれない。
どうも、情熱を失ったときに、
うまくいっている人を見つけると、妬みの気持ちが湧いてくるようだ。
<その他には>
また、自分に自信を持てずにいる人は、
自信満々のひとに対して妬みの気持ちを抱いてしまったりする。
自分に対する不安な気持ちを誰かを揶揄したりすることで
解消しようとしてしまったりする。
自分の足元が揺らいでいることから目をそらすために、
攻撃対象を見つけては、意識を見たくない自分を避け
うまくやっている人たちのほうへ向けしまう。
また、積極的になにか行動するような機会が無ければ、
自分の存在を感じる機会も失っていると言える。
なので、つい過去の自慢話をしたり、
他人を攻撃することで、自分自身のあやうさから
自分の意識を遠ざけてしまったりする。
<妬みに気づいたら>
では、妬みの気持ちに気づいたら、
妬むのをやめようとするよりも、
まず自分の状態に意識を向けてみたい。
情熱が発揮されているだろうか?
行動して、成果を感じ取っているだろうか?
自分に自信を持っているだろうか?
過去ではなく、望ましい未来を描くことができているだろうか?
ワクワクしながら生きているとき、妬んでいるヒマはない。
自信があれば、妬む必要がない。
生きている実感を得ていれば、妬む必要がない。
自分の状態に意識を向けていきたい。