気づきの伝道師 藤井一規です。
人生を分けていくものって、
なんだろう?
どんな信条があるか? どんな思いなのか?
それとも。。。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16345/
この記事の目次
「何を考え、何を知り、何を信じているかは、結局は取るに足らないことだ。唯一重要だと言えるのは、何をするかだ」
by ジョン・ラスキン(英の美術評論家、社会思想家)
違いを分けるものは、
どんな行動をしたか?だ。
頭の中で、何を考え、思ったこととは、
大きく違っていてもいい。
もうしばらく掘り下げていく。
<頭の中>
頭の中で何を考えているのかは、
外見から判別するのは困難だ。
その人の様子をよく観察していれば、
ある程度は推測可能だけれど、
いつも完全に見抜いたりすることは困難を極める。
恨みに思う相手を
頭の中で何回こらしめたとしても、
想像の中で、叩きのめすイメージを思い浮かべようとも
実際に暴力をふるって襲い掛からない限り、
罪に問われることはない。
<考えただけ>
私たちには、大きく発達した脳がある。
事実のような、具体的な事象を認識することだけでなく、
概念のような抽象的なものも理解することができる。
仁義であったり、道徳であったり、倫理であったり。
愛であったり。。。
どんな信条をもっているかは、選択の基準を明確にしてくれる。
同じ事態であれば、同じ選択をすることができる。
ただ、何を考えたか、だけでは
実際に影響を与えることは難しい。
たとえ、どんなに素晴らしいことを考えても、
どんなに悲惨なことを考えても
実行に移さないうちは、その是非を問われることはない。
<何をするか>
もちろん、何を考え、何を知り、何を信じているかは
とても大切なもの。
行動の背景にある考え方が明確になっていると、
一貫性も、もたらしてもくれる。
ただ、どんなに素晴らしいことを考えていても、
実際に行動されない限り、評価される可能性は低い。
どんな行動をしたかが、問われる。
行動に至るプロセスも大切だけれど、
行動したかどうか、それがどんな行動だったのかが、
他人からの評価では一番肝心なところとなる。
素晴らしい考えを持っていても、実際に取った行動に、
思慮に欠けたところがあれば、批判されてしまったりする。
したほうが良いとわかっていても、行動しなければ
わかっていなかったと同じとみなされたりする。
どんなにひどい考えをしていても
実行せずに、抑制することができれば、
評価されたりする。
どんな行動をするかが、まず問われると知っておきたい。