気づきの伝道師 藤井一規です。
人はどんなものに影響されるのだろう?
あなたの人生に手本となるものはあるだろうか?
素晴らしいものもたくさんあるのだが、
手本にしているだろうか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16376/
この記事の目次
「人生は芸術を手本にしない。質の悪いテレビ番組を手本にするのだ」
by ウッディ・アレン(米の映画監督、俳優、脚本家、小説家、クラリネット奏者)
この世には、とても美しいもの、素晴らしいものがたくさんある。
しかし、それらを手本にするよりも、
質の悪いものをからの影響を受けてしまいがちだ。
それはどうしてなのだろう?
もうしばらく掘り下げていく。
<テレビ番組>
テレビ番組はたくさんあるが、
どんな番組を見ているだろうか?
ニュース、教養、バラエティ、ドラマ、スポーツ、芸術。。。
翌日の学校の話題に良くなったのは、
人気のテレビドラマの印象に残るシーンだったりする。
どろどろの人間関係ドラマだったりする。
高い人徳をもって、清貧の生き方を貫いたストーリーを
素晴らしいって思うのだけれど、
次の瞬間、自分にはできないかもって思ったりする。
もっと、楽して、うまみのある話に、
思わず飛びついてしまったり。。。
<道徳的>
どうやら道徳的に生きることは、困難や苦しさを伴っているようだ。
道徳に反したことを一度もしたことがない、
という人はおそらくいないだろう。
悪行は、楽ちんだし、利己的で、得られるものが大きい。
まあ、これくらいなら。。。
みんなやっているし。。。
そんな考えを持つのは無理もないこと。
善人は悪人がいれば損をすることになってしまう。
すると、損をしたくないって心は悪の方向に流れていったりする。
<一方のみにはあらず>
誰だって自分のことがかわいいし、
自分に利益があることに味方し、敵対するものを弱めようとする。
しかし、善と思われることもする。
悪行もすれば、善行もする。
家族のために、見知らぬ人でも困っている人のために、社会のために。
聖人君子ではないけれど、善行もするものだ。
どんなに悪行で名高いひとであっても、
どこかで善行をしているものだ。
愛する家族のためだったりはもちろん、
特に自分にメリットがなくても、
誰かを助けたりすることだってある。
<心にアプローチする>
人は善と悪のどちらか一方だけではない。
だから、誰かのために何かを伝えようとするときも
杓子定規に「正しいこと」だからと押し付けようとすると、
たとえ表面的には合意してもらえても、
なかなかその通りにはしてもらえなかったりする。
清く、正しく、美しくは素晴らしくても
抵抗されてしまうものなのだ。
認められたい、得をしたい、
気分よくなりたい、成長したい、
そんな思いに火をつけることができるかどうかにかかっていたりする。
人は質の悪いテレビ番組を手本にしやすい。
同じことを伝えるのにも、
一工夫する余地が、きっとある。