気づきの伝道師 藤井一規です。
どう生きるか、考えることってあるものです。
どのように生きていきたいですか?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「人の生き方を一番よく表すのは、言葉ではありません。それは、その人の選択なのです。わたしたちの選択とは、つまるところ、わたしたちの責任なのです」
by エレノア・ルーズベルト (フランクリン・ルーズベルト大統領夫人・モラリスト・国連人権委員会委員長)
人生は選択の連続だ。
意識しないうちにも、自分なりの基準で選択をしたりしている。
そして、どんな選択をしていくかで人生は決まっていく。
もうしばらく掘り下げていく。
<選択の連続>
人は一日に何回選択をしているだろう?
習慣や癖になっていることも、選択の結果だと考えることもできる。
意識しないうちにも多くの選択をしている。
8時間睡眠で、1秒に1回選択をしているとすると、
実に一日に57,600回の選択をしていることになる。
ひょっとしたら、寝ている間にもなんらかの選択をしているかもしれない。
どんな選択をするかは、自分で決められる。
そして、その選択の結果については、
自分で責任をとることが求められる。
<責任の発生>
選択をしたあと、必ずしも望ましい結果をもたらすとは限らない。
気軽に本音を話せる友達といるときや、
自分一人だけの時と、
公式の場面とでは、どれが適切かは異なってくるだろう。
そして、選択した結果起きたことには、
選択した私に責任がある。
どんな言葉を使うかも選択のひとつだ。
場面によって、使う言葉は選ぶ必要がある。
言葉は選択の対象のひとつであって、
どんな選択をするかそのものが生き方を表すものなのだ。
<決断>
私たちは、正解のない世界に生きている。
これが正解、というものがあれば、正解を求めていけばよいが、
どれが正解かわからない中で、どれかを選ぶことをしている。
できる限りの努力をして、
より望ましい結果をもたらすと考えて決断していく。
過去に戻ることができない私たちは、
どれが正解だったのかという確実な検証もすることができない。
ただ、どこに問題があった可能性が高いのか、
次に選択をするときには、何を考えに入れたほうが良いのか、
経験からの学びを加えることはできる。
<正解にしていく>
望ましい結果が出てこなくても、
最終的には、私の選択は正解だった。
と言えるように、責任をもって対処していくことが
大事なことだ。
失敗や問題を起こしたことを
なかったことにして、逃げても役には立たない。
責任を感じるから、人は真剣になることができる。
自分の人生は、自分の責任で素晴らしいものにしていきたい。