気づきの伝道師 藤井一規です。
どんな人生を送りたいですか?
自分の進む先が見つからないって人もいるかもしれません。
これでいいのだろうか? 疑問に思っている人も
いるかもしれません。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16526/
この記事の目次
「わたしは死ぬまで生きるんだ」
by フランク・シナトラ(米のアメリカのジャズ歌手、ポピュラー歌手)
死ぬまで生きる。
当たり前じゃないか、って思う人もいる。
だからどうだって言うんだ、という人もいる。
しかし、考えていくとなかなか奥深い。
もうしばらく掘り下げていく。
<何のために生まれてきた?>
何のために生まれてきたのか?
そんな疑問に囚われている人もいる。
簡単に見つける人もいれば、
なかなか見つけられない人もいる。
自分がこのために生まれてきた!って
思えたとしても、それって本当?
って聞かれたとき、自分がそう思った経緯や、理由を示すことができても、
それ以外に答えがないことを示すことはできない。
自分にピッタリくるものを見つけたということは、
歓迎すべき、素晴らしいことだ。
ただ、他にもあるかもしれない。
<死ぬまでの自由時間>
生まれてきてから、死ぬまでの時間、
自由に過ごすことができる。
一生という自由時間を与えられた考えることができる。
自由時間なのだから、どのように過ごそうとも、かまわない。
特定の目的のために生きることもできるし、
ただ漫然と生きることもできる。
どんな生き方を選択するのかも、
自分で決めることができる。
<自由時間、何する?>
つまらない人生を送るのも、
充実した人生を送るのも、
自分次第になってるくる。
人生どう過ごしたらいいかわからないっていうことは、
自由時間をどう過ごしたらいいかわからない、
と言っていることになる。
映画に行ってもいい、
カフェやレストランに行くのもいい。
スポーツをしたり、研究をしたり、仕事に打ち込んでもいい。
もし、つまらないって言うのなら、
することを変えたっていいし、
場所を変えたっていい。
つまらないって、文句を言っているとしたら、
つまらないままにしているのは、
自分自身だということに気づく必要があるのだ。
<死ぬまで生きよう>
死ぬまでの自由時間、充分に生きていたって言いたい。
ぼーっとする時間があってもいいけれど、
たっぷり生きた!って言えるようにしたい。
誰かのせい、周りのせい、運命のせいにしてしまっているとしたら、
考え直したほうがいいかもしれない。
全ては自分で選択することができる。