気づきの伝道師 藤井一規です。
自分ならできる。と思うと、
実現する可能性が高くなると言います。
それはどういうことなのか
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16603/
この記事の目次
「自分ならできると思う。あるいは自分にはできないと思う。どちらも正しいの」
by メアリー・ケイ・アッシュ(米の実業家)
自分ならできる。
そう思うことで、実現性が高まる。
自分にはできない。
そう思うと、実現性はなくなってしまう。
もうしばらく掘り下げていく。
<自分の正しさ>
どんな人も、自分のことを認めてもらえるとうれしい。
自分がいることに、意義があると感じたい。
周りの誰かからの承認を得ようとするかどうかは、
人によって異なるけれども、
承認があるほうが嬉しいし、
少なくとも、自分自身が自分を認めたいと思っている。
そして、自分を認めるときに、自分は正しいと思いたいし、
自分の正しさを証明しようとする。
<自分なら>
自分ならできる。と思うとき、
できることを示そうとするエネルギーが湧いてくる。
「なら」という表現も効果がある。
他の人はともかく、自分ならできる。
という自分が優れているという意味も含んでいる。
自分ならでは、という独自性も示しているかもしれない。
多少背伸びをしているとしても、意欲が湧いてくる。
実現しようとするエネルギーは、
困難があっても切り開いていく可能性を持っている。
<自分には>
反対に、自分にはできない。
と思うとき、今度は、できないことを証明しようとしてしまう。
実際にはできることであっても、
わざわざできない理由を見つけてきたりして、
やらなくなってしまう。
そう、自分は正しい。と思いたいのが人というもの。
だから、できない。と言ってしまった自分を
正しくしようとしてしまうのだ。
せっかく実現への道がつづいていても、
見ないふり、気づかないふりをしたり、
その道のおかしな点を見つけ出そうとしてしまったりする。
<自分の選択>
どちらを選ぶかは、自分で決めることができる。
そして、どちらを選んでもその通りの結果が生まれてくる。
だとしたら、どちらを選びますか?
もし、手に入れたいこと、実現したいことならば、
困難なことだって、「自分ならできる」って
言ってもいいのではないだろうか?
時間がかかったとしても、
あきらめない限り、実現する可能性が残る。
あきらめたときに初めて可能性が無くなってしまうのだから。