気づきの伝道師 藤井一規です。
自分の人生、できれば輝かせたいもの。
人生を輝かせるものとは、何で、
どうしたら光り輝くのでしょう?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16674/
この記事の目次
「必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ」
by 織田信長(武将、戦国大名)
私たちは人生を、命を輝かせることができる。
目一杯必死で取り組むことで、
他の人よりも輝く機会が得られる。
もうしばらく掘り下げていく。
<限りある命>
私たちの命には限りがある。
限りがあるからこそ、得られることがある。
何もかもをするってわけにはいかない。
したいことと、そうでないことを分ける必要がある。
そして、したいことにより時間をかけたいもの。
時間の限りがあるから、よりしたいことを意識できるのではないか?
無限に時間があれば、わざわざ意識をする必要はない。
儚いものだからこそ、
大切にしている輝きがわかる。
<必死さが生み出すもの>
無理なことをすればよいというものではないが、
真剣に、必死で取り組むのと、
どうでもいいや、って思いながら取り組むのとでは、
結果が大きく違ってくる。
恐る恐るやるのと、思い切って全力でやるのとは
取り組む姿勢が変わる、
集中力が変わる、
注ぎ込むエネルギーが変わる。
集中し、思い切って全力でやってみると、
突き抜けた結果が得られたりする。
<人生>
信長はよく、人生50年、下天のうちをくらぶれば・・・
敦盛という舞を好んで舞ったという。
人生は50才までだと意識して、
駆け抜けていた。
弱小一族から、天下を手にする直前にまで登り詰めた。
乱暴者という印象が強いかもしれないが、
人をもてなすことにかけては、一流だった。
細やかな心配りができる人だった。
人生50年と考えたとき、
急ぎ足になっる必要があったのかもしれない。
<やりたいことを必死に>
人生の価値は長さでは決まらない。
少しでも光り輝かせていくために、
取り組みたいことを見つけ、必死にやってみたい。
取り組みたいことがないのなら、
目の前のことを必死でやってみたっていい。
斜めに構えて、他人事のように評価したり、批判するばかりではなく、
自分の人生のために必死でやってみよう。
やったことの中から、新たにみつかることもある。
どこまでできるか、わからなくても、
必死でやったところには、それだけ自分には意味が生まれてくる。
そして、うまくいけば、輝きをもたらしてくれる。