気づきの伝道師 藤井一規です。
何かを極めようとするとき、
どんな心構えでいるのが望ましいのでしょうか?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「武士は馬を我が足と思い、弓鎗を左右の手と定め、敵を撃つ刃は己の心と考え、常に武道をたしなむ事が、本意の核心である」
by 上杉謙信(戦国時代の越後国の武将、戦国大名)
何かを極めることができたとき、
使う道具は自分の身体と一体となって感じられるようになっていくという。
そして、心が結果を描いている。
もうしばらく掘り下げていく。
<身体感覚>
私たちの身体には大きさがある。
歩いていて、他の人とぶつかりそうなときは、
ぶつからないように避けることができる。
これは、自分の肉体がどんな物理的な大きさをもっているかを
感じ取ることができているからだ。
昔、かなり豊満な方が、開きかけの自動ドアにぶつかるのを見たことがある。
ぶつかった後、ばつが悪そうにしていたが、
そういうことはまれだろう。
<身体感覚の拡張>
そして、私たちは身体感覚を拡張する力を持っている。
例えば、自動車は自分の身体とは全く別の物体であるが、
その自動車を細い道で運転するとき、
対向車とぶつかるかどうかを、感じることができる。
駐車するときに、他の車や壁などにぶつけずに、
駐車スペースに収めることができたりする。
しかし、教習所で習いはじめのときは、
大丈夫とおもっていてもぶつけそうになったりするもの。
不思議なことに、肉体と一体となったかのような身体感覚を持つことができる。
いわゆる職人と呼ばれる人たちは、
道具を大切にしているが、自分のイメージの通りに使える
いわば道具が自分の身体の一部のような感覚を持っていたりする。
<心で切る>
そして、刃物であれば
物理的に切断する前に、心で切っていたりする。
こうしたことは、一部の特別な人だけができることではなく、
練習すれば自動車の運転ができるように、
大きな段ボール箱を持てば、箱のサイズを感じて通り抜けられるかがわかるように
ほとんどの人が自然にできること。
苦手なことがある人もいるが、
自分の好きなことであれば、だれもが実行できることだ。
<極める>
そして、何かを極めようとしたとき、
その程度は、自分の身体の延長のように感じられるかどうかで
わかってくる。
特に意識しなくても、思いのままに動かし、
思いのままの結果を出せるようになることでわかる。
実現するまえに、出来上がりを想像することができたりする。
道具と一体となった感覚があり、
イメージ通りの動きができるようになり、
結果を想像でき、その通りの結果が得られるようになったとき、
極めた境地に入ることができる。