気づきの伝道師 藤井一規です。
人を動かすものの代表には、欲があります。
そして、志があります。
欲と、志とにはどんな違いがあるのでしょうか?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「無欲でなければ志は立たず、穏やかでなければ道は遠い」
by 諸葛孔明(中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家、軍人)
己の利益を得ようとすることはモチベーションになる。
しかし、多くの人を巻き込み、
大きな変化をもたらそうとすれば、
己の利益を追及しているだけでは
賛同者は現れてこない。
もうしばらく掘り下げていく。
<欲のエネルギー>
欲があるということを実現したいことがあるということ。
そして、それを得るための努力なら惜しまずしようとする。
欲は意欲の重要なエネルギー源なのだ。
ただ、私利私欲、自分のための満足だとすると、
自分は得るための努力はするにしても
賛同者を得ることは難しいかもしれない。
自分にメリットがあると感じられないと、
他人の利益にしかならないと思うと、人は動きにくいもの。
<志のエネルギー>
志にも意欲を引き出すエネルギーがある。
志は、自分だけの利益のためではなく、
自分が大切に思う何かのためにする。
直接自分だけが利益を得るわけではないが、
取り組むことで意義や自分の価値を感じられたりする。
地域社会のためでもいい、
日本のためでもいい、地球のためでもいい。
例えば、本当に地域社会のためになることならば、
その地域に住んでいる人や、ゆかりの人などから
感謝されたりする。
取り組んでいると、目指すものに
共感するひとが協力してくれたりする。
そう、志は欲よりも、多くの人の賛同を得られやすいものなのだ。
<争う心>
誰かと争い、勝利を目指すことで、
よりたくさんを得ようとする考えがある。
確かに奪い合いに勝利することで、
多くを得ることができるかもしれない。
しかしながら、誰かから奪えば、
奪われた者は奪ったものを恨みに思うことになる。
そして、奪ったのと同じ方法で失う可能性が高いことも
覚えておく必要がある。
<志と穏やかな心>
諸葛孔明は、蜀の国のトップの座を奪い、
自分の国とする実力を持っていた。
しかし、そうはせず、蜀の国のために安定を目指した。
隣の魏の国では、豪族が天下を取りあう争いが続き、
国は不安定なままだった。
奪うことには、マイナス面が付いて回るのだ。
私欲を手放し、志を持つこと、穏やかな心でいること。
意識していきたいもの。