気づきの伝道師 藤井一規です。
なにかをするときに、
つい見返りを期待しちゃうことってあるものです。
そして、見返りがなかったり、形ばかりの残念なこともあるものです。
見返りを期待することについて、
しばらく考えていきます。
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http://shitsumon-alacarte.com/mental/16765/
この記事の目次
「見返りを求めずに誰にでも親切にすること。だってあなたにも同じことをしてくれる人がいるかもしれないんだから」
by ウェールズ公妃ダイアナ(英のプリンセス)
見返りを期待しながら行動していると、
返ってこなかったときには、心に闇を抱えることになる。
といって、与えるばかりじゃ損って考える人もいる。
でも、やはり見返りを求めない人もいるもの。
損得で考えると、何か大切なものを忘れがちになるようだ。
もうしばらく掘り下げていく。
<見返り>
これだけのことをしてやったんだから、
見返りは当然。
そんなことを思うことがあったりする。
急に親切にされたとき、何か下心があるんじゃないか?
と思ったら、その後すぐ、大変な頼みごとをされたり。。。
この親切には何か下心ついているように思ってしまうこともあるかもしれない。
中には、下心のない親切なんてないと考える人もいる。
しかし、ときに全く見返りを意識していないような人もいる。
そして、なんの見返りもなくても、
うれしそうだったりする。
そこにはどんな違いがあるのだろう。
<損得勘定>
私たちは、つい得をしたい、損はしたくないと考える。
だから、今だけとか、限定**個とか、
といった言葉にのせられて、つい余計な買い物をしてしまったりする。
しかし、よく考えてみると、
不要なものだったり、それほど必要のないものを
買ってしまっていたりする。
こんなに親切にしたんだから、見返りは当然だろう。
って考えたり、することもある。
ときには、
別に助けを求めたわけじゃないのに親切を押し売りされて
「見返りは何してくれる?」
なんてとあからさまに言われて、唖然としたって話も聞く。
どうも、損か得かで考えるときは、
何か大切なものを忘れがちになるようだ。
<困ったときはお互い様>
スコットランドで、住む家を探していた時、
不動産情報をもとに、自分で周囲の環境を知っておこうと
道端で地図を見ていたら、
「どうした、道がわからなくて困っているのか?」
ってよく声をかけられた。
他にも、「困ったときはお互い様」
そんな意識が感じられる体験をたくさんして、
なんだか心温まるうれしさを感じた。
「親切」は、その表す漢字にもあるように
相手に親しみをもって大切にすることにある。
そこに損得勘定はない。
<親切>
相手に親しみを持ち、大切に思う気持ちをもつことで、
自然に生まれてくるものがある。
もちろん求められたら
無理にでも提供する必要があるわけではないし、
相手が望んでいないことを押し売りするのは望ましくない。
誰かのことを思う気持ちを
素直に表していけばいい。
「困ったときはお互い様」の意識が広く浸透していったら、
より素敵な生活を送ることができそうだ。