気づきの伝道師 藤井一規です。
愛されたい。愛されていたい。
そう願う人は多いでしょう。
愛されるということは素敵なこと。
しかし、もっと素敵なのは愛すること。
しばらく考えていきます。
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http://shitsumon-alacarte.com/mental/16792/
この記事の目次
「大事なことは、愛されることよりも愛することだった」
by サマーセット・モーム(英の小説家、劇作家)
愛されようとする人は多い。
愛を受け取るのは、うれしいし、ありがたいもの。
しかし、愛することは、
愛される喜びを生み出す。
もうしばらく掘り下げていく。
<愛される喜び>
愛される喜びを多くの人たちは知っている。
生まれてきてすぐ、私たちは無償の愛を受け取る経験をする。
だれか、愛情を注いでくれる人がいなければ、
私たちは死んでしまうだろう。
困ったことは、何も言わなくても、
周りにいる誰かが考えてやってくれる。
食事も、排便も、だれかが助けてくれる。
四六時中、私たちの様子を気にかけ、
何かあれば、助けてもらえた。
不具合があれば、ちょっと泣きさえすればよかった。
<心を開く>
手厚い保護を受けられた赤ちゃんとは違って、
成長していくと、次第に自立を優先するようになっていく。
成長し、自立して、自分の世界を持つようになる私たちは、
心を開くことで、世界をつなげようとする。
素直に心をさらけ出せる人は、
相手に安心をもたらすことができる。
愛されたいなら、自分をさらけ出す必要が出てくる。
成長すると、恥ずかしい面は見せたくないという思いも生まれる。
すると、愛されにくい状況になりがち。
<愛する喜び>
自立をするということは、
独自の世界をもつことでもある。
全てをさらけ出していたころとは違って、
人には見せない面も持つようになっていく。
愛される喜びは知っている。
愛することにも喜びがあることを学んでいく。
愛する誰かのために、パートナーのために、子どものために、
頑張れる自分がいることに気が付く。
<愛するようになってわかること>
子育てが大変なことは、今も昔も変わらない。
しかし、ちょっと見せてくれる笑顔があるだけで、
苦労が吹き飛んでしまったりする。
子どものころは当たり前のように思っていたことの裏に
こんなにたくさんの愛があったことに気づいたりする。
愛されていたことがわかればわかるほど、
愛することの素晴らしさがわかるし、
愛する側になることで、
愛される本当の喜びがわかったりする。
もっと愛の存在を、有難さを感じていってもいいかもしれない。