気づきの伝道師 藤井一規です。
人は自分が経験したことから、
真実はきっとこうだろうと推測するものです。
そして、一度確信してしまうと、ちょっとしたおかしな点があっても、
そのままにしてしまいがちです。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16832/
この記事の目次
「何かがおかしい時は、真実が隠れてないか気をつけろ」
by ジョージ・バーナード・ショー(アイルランド出身の劇作家、社会主義者)
私たちは、興味を惹かれることがあると、
どうなっているのだろう?と好奇心を掻き立てられる。
知りえる情報から、きっとこうなんじゃないかと推測していく。
そして、自分の推測に合点がいくと、
それに合わない事実があっても、意外に軽く扱ってしまいがち。
もうしばらく、掘り下げていく。
<思い込み>
私たちはたくさんの思い込みとともに生きている。
自分の五感から取り入れた情報や、
誰かから聞いた情報をもとに、
身の回りで起きたこと、聞いたことに
自分なりの解釈を付け加えている。
事実を、ただの事実とは捉えるだけにとどまらず、
どうしてそうなるのか?
どんな意図があるのか?
などを付け加えることで安心したりする。
A君がBさんに妙に優しいのは、
好きだからなんじゃないだろうか?
など、理由付けをしたり、推測を加えていくのが好きだったりする。
<反することがあっても>
そして、一旦、自分の考えに納得がいくと、
その考えは、意外に強い思い込みとなっていく。
自分の思い込みに合う新たな事実があれば、
ほら!やっぱり!
と、なんだか自慢げな気持ちになる。
あるとき、自分の思い込みに合わない出来事があったとしても、
たまたまだろう、とか、きっとあのときは
何か裏の事情があったに違いない。
と考えてしまいがち。
自分の思い込みが間違っているかもしれない、
と考えるよりは、自分の思い込みは正しいが
今回は特別な理由があるに違いない。
という考えになってしまいがちなもの。
<冷静に>
確かに、はっきりとはわからない状況があったとき、
仮説を立てて、事実を解釈してみることは、
役に立つ考え方だ。
ただ、一つの仮説だったはずのものが、
気づかないうちに、強い思い込みになってしまうことはよくある。
自分の考えと不一致な事実に気づいたときは、
慎重になったほうがいい。
自分の思い込みのほうを優先してしまうと、
失敗をしてしまったり、誰かを傷つけてしまったり、
誤解を拡げてしまうことになりがち。
ちょっとした感覚や雰囲気の不一致があるときも
自分の考えに何かおかしなところがある可能性を
頭に入れておきたい。