気づきの伝道師 藤井一規です。
愛することは、信じることだと言われたりします。
好きになるのには理由があるが、愛するのには理由はないとも言われます。
人が誰かを愛することについて
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16862/
この記事の目次
「愛は信頼の行為である。神が存在するかしないかはどうでもよい。信ずるから信ずるのである。愛するから愛するのである。たいした理由はない」
by ロマン・ロラン(仏の作家)
愛するには理由いらない。
愛したいから、愛する。
愛すること自体によって、
得られるものがあるからだ。
好きなることと、愛することとにはどんな違いがあるのか、
人が誰かを愛することについて、
もうしばらく、掘り下げていく。
<好きになる と 愛する>
好きになるのと、愛するとにはどんな違いがあるだろう?
好きになるのは、「好き」という状態になることを指している。
ある状態から、別のある状態に移るには、
なんらかの理由を見つけることができる。
状態を変化させる原因となるものが何かがあって、「好き」という状態になる。
これに対して、「愛する」は行為を指している。
行為には、そうしようとする動機が存在しているが、
動機は、あまり明確に意識されないものも多い。
<愛する動機>
人が誰かを愛するとき、相手からの具体的な見返りを
何か期待しているわけではない。
返ってくるものがあれば、もちろんうれしいけれど、
返ってこなくてもいい。
愛することそのもので、すでに得ることができるからだ。
賢いから愛する、美人だから愛するみたいに、
何か特徴があるからどうか、見返りがあるかどうかで
愛する相手を選別するのではなく、
自分の子だから愛する。
かけがえのない存在だから愛する。
というように、
存在そのものを大切にしていくもの。
そして、愛することそのものが、
自分の生きるチカラになったり、エネルギーになったりするもの。
<愛する目的>
愛することは、自分のためになっている。
それは、誰であっても言えること。
愛する誰かが、より素晴らしくなったり、
より幸せになっていくだけでうれしい。
きっとそうなっていくと信じている。
あっという間に成長したり、上達すれるのもうれしいけれど、
なかなかうまくできなかったり、苦戦をしながら、
成長しようと努力している姿も、また喜びをもたらしてくれたりする。
結果が出ないと愛さない、ということにはならない。
結果に対する期待は手放している。
愛することは、信じること。そして期待を手放している。
愛することそのもので充分なのだ。