気づきの伝道師 藤井一規です。
不可能なこととは、どんなことだろう?
不可能だと思っていたことが実現してしまう。
そんなことってあるものです。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16913/
この記事の目次
「どんなことも、不可能と証明されるまでは可能である。そして不可能なことでさえ、今だけのことかもしれない」
by パール・バック(フランスの小説家)
不可能だと思っていることには、
不可能だと思い込んでいるから、ということがたくさんある。
どのような考え方をしていけばよいのだろう?
もうしばらく、掘り下げていく。
<安全>
私たちは、気づかないうちに
自分で自分に制限をかけている。
例えば、火事場のバカ力などといったりするが、
緊急事態では、人は思いがけない力を出すことができる。
常に全力を出せば、筋肉を傷めてしまう可能性が高まる。
日常生活を送るうえでは、身体を守ることも大切なことだ。
知らないうちに制限をかけてしまっているのだ。
それが、緊急事態が起きたことで、
開放されることがあるのだ。
このように、本当は力があるのに気づかないこともある。
<思い込み>
こんなことはありえない。
そう思うことの多くは、これまで培ってきた、
自分にとっての当たり前に基づいていたりする。
その当たり前は、世の中の常識のようなものからだったり、
自分の経験から、自分でつくりだしている。
可能性があっても、閉ざしてしまっていることがたくさんある。
もちろん中には、本当に不可能なこともあるかもしれない。
しかしながら、その多くには
「自分だけでやろうとしたら」
「今の科学技術では」
「手持ちの資金では」
・・・
といった多くの条件が付いていたりする。
<可能性>
不可能だ、と思ってしまう前に
私たちにはもっともっと可能性を追求する余地がある。
できない、と思う前に、
「どのようにしたらできるのか?」
「どうだったらできるのか?」
考えてみる。
たとえ出てきたアイディアが突拍子もないものであっても、
すぐに否定してしまってはもったいない。
そのアイディアが実現する可能性がある限り、
あきらめてしまう必要はない。
自分ひとりでは出来なくても、
誰かが支援してくれたらできるかもしれない。
新たな技術が開発されたりして、
今までになかった可能性が開かれるかもしれない。
不可能とは、あきらめてしまったことなのかもしれない。