気づきの伝道師 藤井一規です。
憎むべき対象は、多くの悲劇のもととなってきました。
政治的に利用されることもあった、
憎しみの感情についてしばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16921/
この記事の目次
「ヘイト。それは世界中でさまざまな問題を引き起こしてきた。しかし、問題を解決したことは一度としてない」
by マヤ・アンジェロウ(米の活動家、詩人、歌手、女優)
憎しみは、百害あって一利なし。
憎む前にすることがあるはず。
もうしばらく、掘り下げていく。
<憎しみ>
個人が世界への発信力を持つようになった現代。
ヘイトスピーチが問題のひとつとなってきた。
このヘイトスピーチというやつは、
以前から政治にもよく利用されてきた。
第二次世界大戦では、ドイツがユダヤ人をターゲットにした。
よそ者であるユダヤ人がいるおかげで、本来得られるはずの
利益が得られなくなっているとする。
そして、アウシュビッツなどの悲劇を生んだ。
<政治利用>
自分たちがうまくいっていないとき、
その理由を外部に求めようとすることは、
よく利用されてきた。
例えば、国内の経済事情が良くないときは、
付き合いのある他国を悪者に仕立て上げ、
自分たちの問題から目をそらさせようとする。
あくまで目をそらすための作戦であり、
逃げの作戦ではあるが、
自分たちが責任を取らずに済むからだ。
問題の矛先を変えようとする試みは
私たちの日常でも経験しているのではないか?
<憎しみが生み出すもの>
しかし、憎しみは憎しみしか連れてこない。
憎んだ相手を、同じ人としての扱いを忘れさせてしまったりする。
憎しみが煮えたぎってくると、
冷静さな判断力を失ってしまう。
普段では考えられないような酷いことを
勢いでやってしまったりする。
思いもよらないことをしてしまったりする。
そして、酷い目に遭った側も憎しみの感情を抱くようになったりする。
憎しみは、憎しみを増幅したり、
新たな憎しみを生み出してしまったりする。
<憎しみの前に>
憎しみの対象だ!とされているが、
冷静になってみれば、ひとりひとりの個人を憎む理由は全く無かったりする。
民族とか、外国人労働者とか、**者といってくくりで
まとめられていたりするけれど、
目の前のひとりの個人として考えたら、
憎む理由はなかったりする。
抽象的な、わからないものに対して憎しみを向けることが多いのだ。
誰か特定の個人を憎むだとしたら、
理由がある、と思うかもしれない。
しかし、そこに至る事情をよく知らないままだったりする。
ひょっとしたら、自分たちのほうが、
追い込んでいたってことも考えられる。
<解決するもの>
憎んでも、憎んでも問題の解決にはならない。
憎しみのもととなった事実を再び起きないようにすることのほうが、
遥かに大切なはずなのに、
憎んだ相手を痛めつけることで満足してしまう。
同じようなことが再び起きないように
本当の問題から目をそらさないことのほうが
大切なことなのだ。