気づきの伝道師 藤井一規です。
どんな人でも敗北することはあるものです。
誰しも味わう敗北、問題は敗北のその後
どうするかにかかっていると言われます。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/16926/
この記事の目次
「たったひとつの敗北を、決定的な敗北と勘違いしてはいけない」
by スコット・フィッツジェラルド(米の小説家)
敗北することはありえること。
いや、敗北を味わうからこその成長があったりする。
もうしばらく、掘り下げていく。
<敗北>
敗北することは嫌なものだ。
誰しも、「負けた」なんて思いはしたくないものだ。
順位をつけるものがあるとしたら、
1番になることに大きな意味がある。
1番と2番とでは、ものすごい差があるのは事実だ。
しかし、勝つことだけに意味があるわけではない。
勝つか、敗けるかは、結果に過ぎない。
確かに勝利は素晴らしいが、
勝利だけに価値があるわけではない。
反対に、敗北に大きな意味を見出すこともできる。
<敗北の価値>
人は成長していくために、
より高いレベルを経験していく必要がある。
高いレベルでやっていくためには、
勝つことができるレベルでの戦いだけをしていては
却って回り道をすることになる。
敗北することは、自分の弱いところを知り、次のレベルのために
何が必要なのかを知る機会になる。
むしろ積極的なチャレンジをし、
早いうちに目指すところを感じることができたほうが
目指すところが明らかになる。
<敗北を活かす>
敗北してはいけない、と考えていると、
ひとつ敗北しただけで、とんでもないことのように
捉えてしまうことがある。
必死で勝とうと全力で努力することは素晴らしい。
しかしながら、結果として
敗北してしまうこともある。
そのときに、その敗北をどのように捉えるかが
人生を左右していくと言ってもいい。
確かに順風満帆のままではなくなったかもしれない。
だからこそ、今のままを変える必要に気づくことができる。
変わる大きなチャンスなのだ。
<人生に活かそう>
勝敗は、結果に過ぎない。
ひとつの結果で、この世の終わりのような捉え方をする必要はおそらくない。
人生は続くのだ。
ひとつの結果を踏まえて、その先どうしていくかのほうが重要なのだ。
勝っても、敗けても、起きたことを望ましい人生のために活かしていきたいもの。