気づきの伝道師 藤井一規です。
人生には大変な思いをすることもあるものです。
しかし、どんなにひどい日のことも、
いや酷かったからこそ、その日のことを
いつか楽しく思い出すことができるようになったりします。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
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この記事の目次
「いつかこの日さえも楽しく思い出すことがあるだろう」
by ウェルギリウス(古代ローマの詩人)
人生において印象深い日とは、
どんな日のことだろう?
なんらかの特別なエピソードがあった日ではないか?
それは、順風満帆なときだけではないはず。
もうしばらく、掘り下げていく。
<出来事に対する感覚>
私たちは、今この瞬間を生きている。
だから、過ぎ去ってしまったことに対しては、
今とは違う感覚になっていく。
うれしい! 素晴らしい!ってことも、
苦しい、悲しい。。。そして、怒ってしまったことも、
現実に経験している瞬間と、
過去になってしまったときとでは、
同じ感覚ではいられない。
現実に起きているときには、まさにその体験の中にいるのだが、
過去の体験は、その体験のなかにはいない。
中にいたときのことを再現しようとすることはできても、
当時のままになることはできない。
再現しようとしている自分は、すでにあの時の自分とは
違っているからだ。
<自分の変化>
私たちは、何かを体験するたびに何らかの変化を起こしている。
うまくいったことからも、うまくいかなくて苦しんだり、
悩んだり、悲しんだりしたことからも。
その体験を通して、何かが起きている。
うまくいかなかったから、努力して乗り越えていたり、
考えを変えていたり、新たな環境に適応していたり。
そうしていくことで、
どんな辛かったり、悲しかったり、苦しかったりする体験であっても、
歳月が経って思い出したとき、
あの出来事があったからこそ、今があることがわかる。
<どんなに酷い経験も>
どんなに酷い体験であっても、
時が過ぎてゆけば、今の自分にとって、
何らかの役に立っていることに気が付く。
たしかに、嫌な体験はしたくないけれど、
してみたからこそ、わかることがある。
だから、ものすごく辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、
酷いことを体験したとき、
是非とも思い出していきたい。
こんな日も、いつか楽しく思い出すことがあるに違いないと。