気づきの伝道師 藤井一規です。
戦争をする場合、大国であればあるほど
大義名分をもって、やむを得ないものとして
始めようとする。
いわゆる、正しい戦争なら許される、
という考え方がある。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17018/
この記事の目次
「私は最も正しい戦争よりも、最も不正な平和を好む」
by マルクス・トゥッリウス・キケロ(共和政ローマ期の政治家、文筆家、哲学者)
侵略や、占領によって、
利益を独占しようとする戦争は否定されるのはわかりやすい。
これに対し、正義をなすための戦争なら許されるという考え方がある。
それでいいのだろうか?
もうしばらく掘り下げていく。
<正しい戦争>
オバマ大統領がノーベル平和賞の授賞式で、
正しい戦争について演説している。
確かに、ISの問題など、戦争をしかけるほかに、有効な解決法が
見つからないような場合もあるかもしれない。
ヒトラー政権も、戦争をせずに解消できたか?
というと、戦争を避けることは難しかったかもしれない。
多くの国が賛同できるような形で、
戦争を仕掛けることが、今でも行われている。
しかし、正しさって、立場によって変わるもの。
絶対的な正義ってあるようには思えない。
<戦争の影響>
戦争は昔は軍隊同士だけのものだった。
しかし、戦争が近代化していくにしたがって、
戦闘員と非戦闘員との境目が明確ではなくなった。
戦争を始めれば、民間人の被害が出るのは確実な時代。
非戦闘員が戦争に巻き込まれたり、
被害を受けることは、ほぼ確実。
直接でなくとも、間接的に大きな影響が出るのは間違いない。
平和な状態で得られたはずのことが
得られない状態になっていく。
<不正な平和>
平和な状態を保つために、
条約などを締結することが行われる。
そこでは、必ずしも公平な内容にはならなかったりする。
本来なら、批判されるべき人たちが
黙認され、放置されることがある。
それでも平和であることは、戦争によって引き起こされる
状態に比べたら遥かにマシだと言える。
<私たちの選択>
ときには、戦争も辞さないという強い気持ちで
交渉する必要もあるだろう。
しかし、戦争という選択は、失うものが多すぎる。
戦争にはならないように、
仲介役をいれたりすることは結構重要。
一時の感情の高ぶりで、恐ろしい戦争に突入。
なんてことになってしまったらたまらない。
戦争で得られるものより、失うもののほうが遥かに多い。
戦争よりは、平和の選択をしていきたいもの。