気づきの伝道師 藤井一規です。
人生がつまらない。苦しい、辛い。。。
そう感じている人もいるかもしれません。
しかし、どんな状況でも楽しむことができると言っている人もいます。
どういうことなのか、しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17051/
この記事の目次
「窮するもまた楽しみ、通ずるもまた楽しむ。楽しむ所は窮通に非ざるなり」
by 荘子(古代中国の思想家)
うまくいってるときばかりではなく、
うまくいっていないときにも楽しむ可能性があるという荘子。
どうやって?
出来れば人生、楽しみは多いほうがいい。
もうしばらく掘り下げていく。
<楽しみたい>
せっかくの人生、楽しんでいきたいもの。
しかし、うまくいくことばかりではない。
困ったこと、大変なことが起きたりする。
自分の思い通りになっていかないときって、
こんな人生つまらない
なんて思ったりする人もいたりする。
人生つまらない と言ってしまうと
人生=つまらない のように自分に言い聞かせてしまっている。
今、たまたまそういう時期なだけなのかもしれないのに。
それに、大変な時期であっても、
楽しむ可能性がある。
<つまらなそうにしていると>
つまらなさそうにしている人がいたら、
あなたは、是非お近づきになりたいと思うだろうか?
つまらなさを共感したいと思う人か、
何とかしてあげたい!って思う人はいるかもしれないが、
選択肢があるのなら近づくのは楽しそうにしている人のほうだろう。
つまらない、と言っている人からは、
多くの人が去っていきがちなのだ。
そして、さらにつまらないことになってしまいがち。
つまらないって考えることで、問題が解消されるなら
すればよいが、事態を悪くする一方になりがち。
<苦しい状況をどう楽しむの?>
悲劇を楽しむケースってある。
悲劇の映画を見に行くってことがある。
悲しい歌を聞きたくなることや、
悲しいストーリーの本も人気がある。
自分のことではなく、
客観的に悲劇を捉えるとき、
悲劇も楽しむことができることがわかる。
だとしたら、自分のことであっても
まるで別の誰かが経験していることのように、
映画を鑑賞するような立場から眺めてみる可能性がある。
あまりにひどい状況も、ここまでひどいなんて
映画でもありえないなって思えたら、不思議と楽になる。
失敗やドジをしている自分の様子も、
自分で笑ってしまうことができる。
そう、私たちはどんな状況でも楽しむ可能性がある。
自分を自分で追い込み、苦しめる前に試してみる価値はある。