気づきの伝道師 藤井一規です。
正義が機能するのは、発揮するほうがチカラを持っているときです。
チカラがないのに、正義を持ちだしても、
無視されてしまうだけです。
正義と力との関係について、しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17069/
この記事の目次
「力なき正義は無力であり、正義なき力は圧制である」
by ブレーズ・パスカル(仏の哲学者・数学者・物理学者)
どんなに正義を口にしても、
黙らせるチカラを持っていなければ、
その正義は機能しない。
また正義の後ろ盾がない状態で
チカラを発揮することは、暴君が思いのままのような状態となる。
もうしばらく掘り下げていく。
<正義にはチカラの後ろ盾が必要>
ルールを守って正しく行動している人がいるところに、
ルールをないがしろにして、傍若無人な行為をする輩がいるとする。
正しく行動している人が、
「あなたはルール違反だ!」と言ったとする。
彼が、ルールに従うようにさせるチカラを持っているか、
彼の主張をもっともだと支援して、
ルールを守ったほうが良いと思わせるようなチカラが働けば、
ルールに従わせることができるだろう。
しかし、それは逆に言うと・・・
充分なチカラがないところで
「あなたはルール違反だ!」と言ったとしても、
「だからどうした!?」
と開き直られたらおしまいだ。ということを示している。
無残にも正義は踏みにじられてしまう。
<正義の後ろ盾が欲しいチカラ>
先日、戦争と平和について触れたとき、
オバマ大統領は、ノーベル賞の授賞式のスピーチで、
正しい戦争について述べたことを記した。
大国がその強大なチカラを発揮するときは、
それば正義であることを示す必要がある。
強大なチカラをもつということは、
そのチカラを自分勝手な目的に使ってしまう可能性もあるということだ。
正義であることを前面に出すことで、
当事者以外の、第三者からの指示を得やすくなる。
正義のないところで、強大なチカラを発揮することは、
傲慢なことになる。
<正義の発揮>
どんな組織でも、仕組みとして、正義が発揮できるように、
正義を持つ者にチカラの支援が与えられるようにしておきたい。
そうすることで、無碍な悲劇を防ぐことができる。
そして、チカラを持つ者は、正義を背景にすることで、
持つチカラを発揮する機会を持つことができる。
正義とチカラとは、そろって初めて役に立つものになるのだ。
ただ、正義とは一つしかないものではなく、
立場で全く異なるものであることも覚えておきたい。