気づきの伝道師 藤井一規です。
勝負であれば、勝利を目指したいものです。
しかしながら、ただ勝つだけよりも価値のある敗北もあると言います。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17095/
この記事の目次
「世の中には、勝利よりももっと勝ち誇るに足る敗北があるものだ」
by ミシェル・ド・モンテーニュ(仏の哲学者、モラリスト、懐疑論者、人文主義者)
敗北したとしても、その勝負から得られたものが
ものすごく大きいことがある。
勝ったとしても、ズルい手段を使っただけだとしたら、
勝った意味はあまり大きくないかもしれない。
もうしばらく掘り下げていく。
<結果が全てか?>
世の中には結果が全て、という考え方がある。
勝負であれば、勝たなければ意味がないと考えるものだ。
しかし、成長していこうと考えるとき
敗北から学ぶことは大きい。
何が足りなかったのか、考えたり、思い知る機会になる。
そして、勝つために必要なものを身につけるための大変な努力も、
負けた悔しさがあるから惜しまずにできたりする。
敗北することは、失うばかりではないのだ。
反対に、勝ってしまうことで慢心してしまう可能性もあるし、
勝ちさえすればよいと、ズルい手を使ってしまうことは
望ましくないかもしれない。
そう、結果に価値はあるが、
結果だけに価値があるわけではない。
<プロセスの価値>
私たちは、成長する道のりで多くの学びを得ることができる。
人生を歩んでいくうえで、真剣に取り組んだり
努力を積み重ねたりということを経験することは
とても大切なことだ。
勝つか、敗けるかで、その勝負の評価は天と地ほど違うかもしれない。
しかし、人生においての価値を考えるとき、
結果として負けてしまったとしても、
ただ何もしないで勝ったり、
卑怯な手段を使って勝ったりするよりも、
ずっとずっと価値があるかもしれない。
<未来への希望>
敗北を味わったとき、残念な思い、
悔しい思いを抱えることになるかもしれない。
しかし、勝っても負けても、未来への希望を持つことができる。
負けたときのほうが、成長の余地が大きいってことでもあり、
より大きな希望を持つことができるかもしれない。
勝負に勝って満足するだけよりも、
勝っても負けても、未来への希望を抱き、前に進もうとする気持ちのほうが
人生にとって大切かもしれない。