気づきの伝道師 藤井一規です。
生きることが楽しいって人もいれば、
生きることが辛くてたまらないって人もいるかもしれません。
この違いはどこから来るのでしょうか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17144/
この記事の目次
「生きているだけで楽しいってことを、わたしは忘れたことはないわ」
by キャサリン・ヘプバーン(米の女優)
この言葉を、ポジティブに受け留めることができる人もいれば、
そんなの一部の幸せな人だけのものだ、という受け止めをする人もいるだろう。
その違いがどこから来るのか、
もうしばらく掘り下げていく。
<人生にいいことはあるか?>
人生にいいことなんて何もなかった。
という人もいる。
きっと、大変なこと、辛いこと、苦しいことを
たくさん経験したにちがいない。
頑張っても、頑張っても、報われたと
感じられなかったのかもしれない。
長寿ながら、人生は辛いだけだった
と言っている人もいたりするのも確かだ。
逆に、人生を振り返って、幸せだった
と言っている人もたくさんいる。
人によって、経験することが異なっていて当たり前だ。
得ている金銭や財産の多寡が生まれてくるのも確かだ。
しかし、金銭や財産があっても幸せと思えない人もいて、
様々な経験の捉え方の違いのほうが
人生の評価の差を生み出しているようだ。
<何を楽しいと感じるのか>
あなたは、何を楽しいと感じるだろうか?
例えば、目の前に蟻の行列があったとする。
それを目にする人がたくさんいたとしても、感じ方は様々だ。
目には映っていても、蟻の存在に気づきもしない人もいる。
蟻の存在に気づくが、気に留めない人もいる。
蟻に気が付いて、気味悪いと思う人もいる。
行列の様子をみて、何が起きているのだろうと、興味を持つ人もいる。
単なる興味を越えて、わくわくする人もいる。
命の営みを見つけて、うれしくなる人もいる。
どうも一つの事実を前に、何を見つけ、考え、感じることは
多種多様でありうるのだ。
どのように捉えるかで、ものすごい違いがを生み出されているのだ。
<全てのことは起きている>
ちょっとした集まりで、最近あった、いいことって何ですか?
って問いかけると、
はい、あれ!これ!ってすぐに思い浮かぶ人もいるけれど、
答えがひとつも思い浮かばないって人もいる。
まず、答えを書いてもらうと、他の人が聞いても、
あ!それすごくいい!って思えるような答えであることが多い。
あのコーヒー美味しかったとか、新しパン屋さんに行ってみたとか、
スッキリ目が覚めたとか、
ちょっとしたことでもって伝えると、答えが増え始める。
そして、その答えを伝え合うと、
どんどん場が明るくなって、あ、これもだ!って、
いいことがたくさんあったことに気が付き始める。
どうも私たちはつい、「いいこと」の基準を、
高く設定しすぎる傾向にあるようだ。
同じように、楽しいこと、うれしいこと、幸せなことも
いっぱい起きているのにもかかわらず、
そう捉えることができていないのかもしれない。
<生きているだけで楽しいかも>
そう考えてくると、
楽しいことがある、って前提で生活していると、
楽しいことっていっぱい見つかるのかもしれない。
さらには、自分から楽しいことが増えそうなことを
してみる可能性があることにも気が付く。
命は与えられているもの。
その命をどう楽しむかは私たちに任されている。
楽しいって感じられることが与えられるのを待つ人もいるかもしれないが、
自ら感じ取ったり、創り出したりできるのかもしれない。
その選択は、自分でしていけばいい。